
中学受験専門 国語 プロ家庭教師 細川
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■『受験国語 選択肢の判別 111の視点(無料)』
■記事
・正味64ページ(両面17枚)
・本編約103,000字
■PDFデータ量
・7.51MB
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・ホチキスは、背(外側)からノド(内側)に向けて打ちます。また、天地からそれぞれ6~7cmの位置に一か所ずつ打つと冊子が安定します。
■本資料は一見難しい内容に思えるかもしれませんが、大人の助力により(事前に読み込みが必要)、手順を踏んで説明すれば、小学5、6年生にもしっかりと理解させることが可能です。
・内容的に中学生や高校生の学習にも利用できます。
俳句(通釈):あ~さ行(123句)
【目次】
■所収 句作者の略歴
■所収 句関連用語
■俳句の通釈(あ~さ行:123句)
【関連ページ】
■俳句・短歌(玄関):俳句・短歌の知識 ・旧暦 ・月の古称 ・いろは歌
■季語一覧表のページ
【無料PDF】
■季語 一覧表(PDF) (B4・2枚)
■季語 写真(PDF) (B4・3枚)
論理パズル

■「消えた1,000円のナゾ」・「天使と悪魔と人間」・「Aさんの帽子は何色か」・「偽金貨はどれだ?」など、11の問題と解説。
各種論理

■三段論法(演繹法)・帰納法・背理法・論理的飛躍・弁証法・類推・仮説形成・詭弁論理など、各種論理の解説。
所収句作者の略歴(五十音順)
■芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)… 小説家。東京生まれ。夏目漱石に師事。歴史小説に近代的解釈を下し、新分野を拓く。昭和2年(1927年)没。享年35。
■阿波野青畝(あわのせいほ)… 大正・昭和期の俳人。奈良県生まれ。高浜虚子門下。日常生活に見る風物や情緒を、客観的な立場で写生する句風が特徴。大正末から昭和にかけて、山口誓子、高野素十、水原秋桜子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。平成4年(1992年)没。享年93。
■飯田蛇笏(いいだだこつ)… 大正・昭和期の俳人。山梨県生まれ。高浜虚子に師事。感覚的で荘重な句風が特色。昭和37年(1962年)没。享年77。
■飯田龍太(いいだりゅうた)… 昭和、平成の俳人。随筆家、評論家。山梨県生まれ。飯田蛇笏(いいだだこつ)の四男。戦後、新鋭的な俳人として注目を集める。平成19年(2007年)没。享年86。
■池西言水(いけにしごんすい)… 江戸前・中期の俳人。奈良の人。江戸で芭蕉らと交わり、延宝期の代表的な撰集を刊行し俳壇で重きをなした。「木枯の果はありけり海の音」により、「木枯の言水」と称された。享保七年(1722年)没。享年73。
■石田波郷(いしだはきょう)… 昭和期の俳人。愛媛松山生まれ。水原秋桜子に師事。昭和18年(1943年)、華北(中国北部)に出征、病にかかり、以後、死去するまで長く療養を続けた。「ホトトギス」の「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」に対し、「人間探求の」俳句を追求、中村草田男、加藤楸邨らとともに人間探究派と称せられた。昭和44年(1969年)没。享年56。
■上島鬼貫(うえじまおにつら)… 江戸中期の俳人。伊丹の人。上島は「かみじま」「うえしま」とも読む。蕉門の俳人らや松尾芭蕉とも親交を持つ。洒脱で率直な句風が特色。元文三年(1738年)八月二日(新暦9月15日)没。享年77。
■榎下其角(えのもときかく)→宝井其角(たからいきかく)
■大島蓼太(おおしまりょうた)… 江戸中期の俳人。信濃の人。蕉風の復活に尽力。晩年には江戸蕉門の第一人者として、門人三千余人を抱えたと言われる。平明で通俗的な句風。天明七年(1787年)没。享年70。
■大野林火(おおのりんか)… 大正・昭和期の俳人。横浜市生まれ。近現代的で叙情豊かな作風で知られる。昭和57年(1982年)没。享年78。
■荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)… 大正・昭和期の俳人。河東碧梧桐門下。「句の力は魂だ」と説き、精神を尊び、内的リズムを重んじ、季題の超越と定型の打破を主張。大正初年より自由律俳句を唱え、意見を異にする碧梧桐と袂を分かつ。門下から尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが出た。昭和51年(1976年)没。享年91。
■尾崎放哉(おざきほうさい)… 大正期の俳人。鳥取生まれ。十七音の定型や季語にとらわれないで生活実感を表現しようとする、「無季自由律(むきじゆうりつ)」の俳句で独創的な世界を切り開いた。社会的地位、財産を捨て、家族とも別れて無一物で各地を転々とする生活を送り、餓死のような状態で小豆島で亡くなった。大正15年(1926年)没。享年41。
■加賀千代女(かがのちよじょ)… 江戸中期の女流俳人。加賀国松任の人。安永四年(1775年)九月八日(新暦10月2日)没。享年73。
■加藤楸邨(かとうしゅうそん)… 昭和~平成の俳人。松尾芭蕉の研究家。東京生まれ。俳句の世界を単なる趣味的なものではなく人生探究の場と主張し、実践。中村草田男、石田波郷と共に人間の内面を詠む「人間探求派」と呼ばれた。平成5年(1993年)没。享年88。
■川端茅舎(かわばたぼうしゃ)… 大正・昭和時代の俳人。東京生まれ。ホトトギス同人。高浜虚子門下。花鳥諷詠(かちょうふうえい)の態度に徹し、きびしい写生で多くの名作を残した。病床にあって作句に励むこと二十年、昭和16年(1941年)没。享年43。
■河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)… 明治・大正期の俳人。愛媛県松山生まれ。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立し、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱した。昭和12年没(1937年)。享年63。
■黒田杏子(くろだももこ)… 昭和、平成期の俳人。昭和13年(1938年)東京生まれ。山口青邨に師事。令和5年(2023年)没。享年84。
■小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
■斎藤空華(さいとうくうげ)… 昭和の俳人。神奈川生まれ。肺結核により闘病生活を送る。昭和25年没。享年31。
■西東三鬼(さいとうさんき)… 昭和期の俳人。歯科医。岡山県生まれ。山口誓子の「天狼(てんろう)」発刊に尽力、現代俳句の根源を追求した。斬新でユーモアに富んだ句が多い。昭和37年(1962年)没。享年61。
■篠原梵(しのはらぼん)… 昭和期の俳人。愛媛県松山市生まれ。日常生活に取材した知的かつ正確な表現の作風で注目された。中村草田男、加藤楸邨、石田波郷と並んで人間探求派の一人と目され、晩年は口語調の俳句も志向した。また、口語体の俳句について篠原は次のように述べている。「俳壇人というもの、文章を書くときはかなり普通のことばで書くのに、俳句作品となると時代ばなれ、あるいは日常ばなれをする。お互いに変だとも気づかず 、または思わず、そうしてあやしまない。俳句結社が反社会的集団ではないのに、歳月が経てば経つほど、世間ばなれをしてゆく文語体で物事をあらわそうとするこの創作活動をどう考えているのであろうか。これはおかしいのではないかと疑ってみたりしないのだろうか。日常普段のことばであらわすのでないと、把握することのできない、言いあらわすことのできない何物かを逃がすことになるのではなかろうか。新しい感覚や角度が見えて来ないのではないか。(中略)平常のことばで作らないといけない。口語体でつくるのがほんとうである。」 昭和50年(1975年)没。享年65。
■斯波園女(しばそのめ)… 江戸前期の女流俳人。元禄三年(1690年)、松尾芭蕉に師事。伊勢山田(三重県伊勢市)の人。句風は平弱だが素直。享保十一年(1726年)没。享年63。
■高野素十(たかのすじゅう)… 昭和期の俳人。医学博士。明治26年(1893年)、茨城県生まれ。大正12年(1923年)より高浜虚子に師事し、虚子の花鳥諷詠(かちょうふうえい)の教えを忠実に守って、穏やかな客観写生のうちに「自己の天地」を見出そうとした。山口誓子、阿波野青畝(あわのせいほ)、水原秋桜子らとともに名前の頭文字を取って「ホトトギス」の「四S」と称された。昭和51年(1976年)没。享年83。
■高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。享年85。
■宝井其角(たからいきかく)… 江戸前期の俳人。はじめ榎本姓を名乗っていたが、のち自ら宝井と改める。江戸日本橋生まれ。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人で、服部嵐雪(はっとりらんせつ)と並んで双璧。江戸っ子らしい才気ばしった軽妙な句風が特徴。もと榎本其角(えのもときかく)。宝永四年(1707年)没。享年47。
■種田山頭火(たねださんとうか)…大正・昭和時代の俳人。44歳で出家後、主に西日本各地を放浪し、独特の淡々(たんたん)とした句を作った。荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)に師事し、自由律俳句に傾倒(けいとう)。
■炭太祇(たんたいぎ・すみたいぎ)… 江戸中期の俳人。江戸の人。40歳を過ぎて京都に上り、紫野大覚寺の僧となったが、間もなくして島原遊廓(ゆうかく)内に不夜庵を結び、与謝蕪村らと交わる。句風は人事句を得意とし、叙景句にも佳句が多い。俳句の題材を広げた功績は大きく、俳諧史上独自の地歩を築いた。明和八年(1771年)八月九日没。享年63。
■富安風生(とみやすふうせい)… 愛知県生まれ。教養人らしく、平明温雅で淡泊軽妙な句風を特色とする。昭和54年没。享年93。
■内藤丈草(ないとうじょうそう)…江戸前期の俳人。尾張犬山藩士。のち出家し、翌年蕉門に入る。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。向井去来とともに関西蕉門の重鎮。禅を学び清閑な生活を送った人らしく、句風は繊細洒脱、閑寂、清澄。宝永元年(1704年)没。享年43。
■内藤鳴雪(ないとうめいせつ)… 明治・大正時代の俳人。江戸の松山藩邸で生まれる。同郷の後輩、正岡子規の感化により46歳で俳句の道に入り、子規門下の重鎮、長老として仰がれた。句風は平明温雅。大正15年(1926年)没。享年78。
■中村草田男(なかむらくさたお)… 昭和時代の俳人。中国福建省生まれ。愛媛の人。ホトトギス同人。高浜虚子に師事。伝統的な季題定型を守り信じ、この中に作者の複雑な自己、体験を抒情歌しようとした。単に花鳥諷詠にとどまらず、俳句に作者の心理、思想といった内的要素を持ち込むところにきわめて近代的な意欲があり、加藤楸邨、石田波郷らとともに人間探究派と称せられた。昭和58年(1983年)没。享年82。
■中村汀女(なかむらていじょ)… 昭和期の女流俳人。熊本出身。大正七年頃から俳句を始め、「ホトトギス」に投稿、虚子に学んだ。女性らしい感覚で身辺の風物をとらえ、これを題材として平明な表現で詠う穏やかで落ち着いた句風が特徴。星野立子(ほしのたつこ)、橋本多佳子(はしもとたかこ)、三橋鷹女(みつはしたかじょ)らとともに4Tと呼ばれた。昭和63年(1988年)没。享年88。
■夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。
■野沢凡兆(のざわぼんちょう)… 江戸前期の俳人。加賀金沢の生まれ。蕉門の人々との交わりを経て後、元禄三年(1690年)、「おくのほそ道」の旅を終え京に来た松尾芭蕉に向井去来の紹介で会い、教えを受ける。句風は客観的で印象が鮮明、絵画的な色彩感にも富む。正徳四年(1714年)没。享年不詳。
■服部嵐雪(はっとりらんせつ)… 江戸前期の俳人。江戸湯島生まれ(淡路の生まれとも)。松尾芭蕉の高弟で、榎本(宝井)其角と並び称された。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。句風は平明穏雅。宝永四年(1707年)没。享年54。
■日野草城(ひのそうじょう)… 昭和期の俳人。東京生まれ。自由主義の立場から無季俳句・連作俳句の新興運動を実践。昭和10年(1935年)、「旗艦」を創刊し、翌年「ホトトギス」を除名される。昭和21年、肺結核を発症し、以後十数年は病床にあって句作。昭和31年(1956年)没。享年54。
■星野立子(ほしのたつこ)… 高浜虚子の次女。昭和期の俳人。虚子の客観写生による花鳥諷詠(かちょうふうえい)に従い、そのうちに女性らしい繊細な感覚を見せる句風が特徴。昭和59年(1984年)没。享年80。
■正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
■松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
■黛(まゆずみ)まどか… 1962年、神奈川県生まれ。現代俳句を代表する女流俳人の一人として活躍中。
■水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
■向井去来(むかいきょらい)… 江戸前期の俳人。長崎の人。松尾芭蕉の最も篤実な高弟。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。内藤丈草とともに関西蕉門の重鎮。句風は、篤実な性格により師風を守り、高雅清潔の品格をそなえ、平浅卑俗に陥らなかった。宝永元年(1704年)没。享年54。
■村上鬼城(むらかみきじょう)… 明治・大正・昭和時代の俳人。江戸の生まれ。正岡子規、高浜虚子に師事。重度の聴覚障害者であり、また、貧に苦しみながらも、その不幸な生活の中から自らの苦難の人生を詠んだ句、弱者や虐げられた者に同情を寄せる句を作り、独自の句風を樹立した。
「じぶんは貧乏である。社会的な地位は何もない。婚期を過ぎた娘を二人も持っている。私はそれを思うとじっとしていられない。いくらもがいたところで貧乏は依然として貧乏である。聾(つんぼ)は依然として聾である」(「村上鬼城句集」(大正15年)所収。昭和13年(1938年)没。享年73。
■山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
■山口青邨(やまぐちせいそん)… 昭和期の俳人。大正11年、高浜虚子に師事。豊かな教養による平明温雅(へいめいおんが)な句風が特徴。ホトトギス同人。工学博士。昭和63年(1988年)没。享年96。
■与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。絵画的・浪漫的俳風に特色。独創性を失った当時の俳諧を憂い、「蕉風回帰」を唱え松尾芭蕉に復することを目指した。天明三年(1784年)十二月二十五日(新暦1月17日)没。享年68。
*所収句関連用語
・本編説明にて頻繁に出てくる以下の用語は、記載の重複を避けるため、ここにまとめて記載しておく。
■「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
■自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。
■蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
■蕉門(しょうもん)… 松尾芭蕉の門人、およびその門流。
■『ホトトギス』… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
あ行
あおあおと空を残して蝶分れ(大野林火)
・あおあおと そらをのこして ちょうわかれ
・暖かな日差しの中、二匹の蝶がどこからともなくやって来て、空中で戯(たわむ)れ舞っている。ふと、それが二手に分かれて飛び去ってゆくと、後には青くさわやかな春の大空が眼前いっぱいに広がっていたことだ。
・蝶が消え去った後に眼前いっぱいに広がった、大きな青空。活発に動く小さな対象から広大な背景へと視点が移り、穏やかな心持ちで空に見入っている作者のさわやかな気分が伝わってくる。(春・句切れなし)
※蝶(ちょう)… 春の季語。季節を夏と間違いやすいので注意。
※空を残して蝶分れ… 擬人法。蝶の意志的行為ともとれる比喩表現となっている。視点が蝶から春の大空へと移り変わった後の印象がいっそう鮮やかに強調される。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「早桃(さもも)」(昭和21年:1946年)所収。
※大野林火(おおのりんか)… 大正・昭和期の俳人。横浜市生まれ。近現代的で叙情豊かな作風で知られる。昭和57年(1982年)没。享年78。
青蛙おのれもペンキぬりたてか(芥川龍之介)
・あおがえる おのれもぺんき ぬりたてか
・青蛙よ、お前の体はいやに青くつややかだが、まるでペンキを塗りたてのようじゃないか。
・青蛙の体のつややかな色を見て、ペンキの塗りたてそのものじゃないかとからかっている。青蛙の皮膚(ひふ)の生々しい質感までがありありと伝わる、明るくユーモラスな句である。(夏・初句切れ)
※おのれ… お前。
※青蛙(あおがえる)… 夏の季語。ちなみに「蛙(かえる・かわず)」は春の季語である。水辺や田園などで「春の訪れとともに冬眠から覚めた蛙が姿を現し、その鳴き声が聞かれ始める」という意味の「初蛙(はつかわず)」に由来し、春の季語となった。
※青蛙、雨蛙はともに夏の季語。ただし、分類学上、アオガエルはアマガエルとは別種。
①アマガエル、アオガエル、トノサマガエルなど、緑色のカエルの俗称。
②モリアオガエルなど、アオガエル科で緑色のカエルの総称。樹上で暮らすための吸盤を持つ。
※青蛙… 呼びかけ法。青蛙よ、と親しみを込めて呼びかけている。また、「名前のとおりいかにも青い蛙であることだ」、という詠嘆も込められている。
※大正7年(1918年)の作。
※フランスの作家、ジュール・ルナール作「博物誌」の中に、「青とかげ ― ペンキ塗り立てご用心」という短詩があり、これをもじって芥川が句作したもの。以下、「博物誌」(明治29年:1896年)より。
・蛍(ほたる) ― 草に宿った月の光の一滴(ひとしずく)
・驢馬(ろば) ― 大人になった兎(うさぎ)
・蛇(へび) ― 長すぎる
・蝶(ちょう) ― 二つ折りのラブレター、花の番地を探してる
※芥川は友人から、「ルナールの『博物誌』に『青とかげ ― ペンキ塗りたてご用心』という一編がある」と指摘された際、彼は、「だから自分の作には『おのれも』があるのだ」と応じたという。
あかあかと日は難面も秋の風(松尾芭蕉)
・あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ
①日が暮れるのが早い秋だから、日は既に、無情にも西の山の端(は)に赤々と傾いており、旅人の私には何とも心細い思いがする。そのうえ(添加)、ものさびしい秋の風が吹いてきて、いよいよ心細さが募ってくることだ。
・うら寂しい秋風の中をとぼとぼとたどる旅人の、募(つの)る心細さがしみじみと伝わる。(秋・句切れなし)
②立秋は過ぎたというのに、秋の夕日が歩き疲れた私に無情に照りつけている。それでも(逆接)、さすがに吹いてくる風は、もう秋を思わせる涼やかな風であることだ。
・残暑の暑苦しさに夏の名残を感じる中にも、わずかに涼を運んでくれる秋の風への情感がしみじみと詠われている。(秋・句切れなし)
※難面(つれなく)も… 無情にも。
※上記のとおり、主に二種の解釈がある。
①一つは、「あかあか」を「赤々とした秋の夕日の姿」ととらえ、「日が西に傾いて、それが旅人にとって心細く無情に思え、そのうえに(添加・強調のニュアンス)、うらさびしい秋の風が野末を吹きわたっている」とする解釈、
②もう一つは、「あかあか」を「夏を思わせる強烈な日」ととり、「もう秋だというのに、日はぎらぎらと無情に私を照りつけるが、しかし(逆接のニュアンス)時節はあらそわれず、涼やかな秋の風が吹いてくることだ」と、夏から秋へ移り変わる時節の微妙な季節感を詠んでいるとする解釈である。
※体言止め。
※あかあかと… 擬態語。非常に赤いさま、真っ赤なさまを表す。
※難面も… ①、②ともに「無情に・容赦無く」という意味で日を擬人化し、旅人にとっての心細さや辛さをより強く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)秋、金沢での吟。
※前書きに、「途中吟(道すがら詠んだ句)」とある。「おくのほそ道」では金沢から小松へ至る間の章にこの句を入れてあるので、一般には小松に着く直前に詠まれたものとされているが、7月17日(新暦8月31日)、金沢の源意庵(立花北枝の立意庵か)での句会でこの句を披露していることから、芭蕉は金沢へ向かう途上で既にこの句の着想を得ていたことになる。
赤い椿白い椿と落ちにけり(河東碧梧桐)
・あかいつばき しろいつばきと おちにけり
①紅白二本の椿の木から、ぽとり、ぽとりと離れ落ちた花は、それぞれの木を囲むように、まるくなって地面に落ち広がっていることだ。
・地に落ち広がっている赤い色の花の輪と白い色の花の輪の対照的な取り合わせとその印象的な様子に、作者が新鮮な感動を覚えている。(春・句切れなし)
②赤い椿の花がぽとりと落ちていった。それに心奪われる間もなく、続いて白い椿の木からも、また花が一つ、ぽとりと落ちていった。
・花の落ちる瞬間瞬間に目に焼き付けられた赤と白との鮮やかな色彩を、生々しい感動と驚きとをもって詠われた印象的な句である。(春・句切れなし)
※上記のとおり、主に二種の解釈がある。
①一つは、既に地に落ち広がっている椿の花の静的状態を詠んだものと解釈する説(正岡子規、高浜虚子、大野林火、大岡信ら)、②もう一つは、赤い椿の花が落ちる様を見て感動する間もなく、続けざまに白い椿の花も落ちていった様への感動を、動的かつ即物的に、時間の経過も含めて印象鮮明に詠んでいるとする説(山口青邨、寺田寅彦ら)である。
※椿(つばき)… ツバキ科の常緑高木。樹高10m以上になるものもある。サザンカ(山茶花)とよく似ているが、サザンカの花は花びらが散るのに対し、ツバキの花は花ごと落ちる。また、山茶花が冬の季語であるのに対し、椿は春の季語となっているので注意。
※赤い椿白い椿と… ①赤い椿、白い椿とそれぞれに(静的叙景)、②赤い椿が落ちると、続けて白い椿も(動的叙景)、の主に二種の解釈がある。
※落ちにけり… ①落ち広がっていることだなあ(静的叙景)。または、②落ちていったことだなあ(動的叙景)、と詠嘆を表している。
※「落ちにけり」については、高浜虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」を参照のこと。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り(18音)。
※明治29年(1896年)、碧梧桐24歳の時の作。「新俳句」(明治31年:1898年)所収。
赤い羽つけらるる待つ息とめて(阿波野青畝)
・あかいはね つけらるるまつ いきとめて
・街頭で、赤い羽を付けてもらう間、気恥ずかしく思いながら、動かないように息を止めてじっとしている私だったことだ。
・緊張感や気恥ずかしさ、うれしさといった気持ちの混在がよく伝わってくる。(秋・二句切れ)
※赤い羽… 赤い羽根。民間社会福祉事業の資金集めのための共同募金運動。毎年10月~12月にかけて行われる。秋の季語。
※つけらるる… つけられるのを。
※つけらるる待つ… 赤い羽根をつけてもらうのをじっと待っていることだよ、と詠嘆を表している。
※倒置法… 普通の語順では「いきとめて、つけらるるまつ」となる。
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
・あかとんぼ つくばにくもも なかりけり
・晴れて澄み渡った秋空のもと、野には赤とんぼたちが静かに、ゆうゆうと飛び舞っている。はるかに望む筑波山には、一片の雲さえないことだ。
・眼前の赤とんぼの群れと、筑波山の遠景との調和が見事である。見た光景をありのままに描き出しながら、明るく静かな秋の情感をしみじみと伝えてくる。(秋・初句切れ)
※赤とんぼ… 秋の季語。ちなみに「とんぼ」も秋の季語であり、夏の季語と間違えやすいので注意。
※筑波(つくば)… 筑波山。茨城県中部、関東平野にそびえる山。標高877 m。西側に位置する男体山(なんたいさん)と、東側に位置する女体山(にょたいさん)からなる。古くは「万葉集」にも詠まれ、日本百名山の一つに挙げられている。百名山の中では最も標高が低い。
※なかりけり… 一つも無いことだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「寒山落木(かんざんらくぼく)」(明治27年:1894年)所収。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
赤とんぼ葉末にすがり前のめり(星野立子)
・あかとんぼ はずえにすがり まえのめり
・細い葉の先に一匹の赤とんぼがとまり、前のめりになりながらも、落ちまいとして必死にしがみついているかのようだ。
・小さな生き物の営みの一つ一つを見つめる、女性らしい優しさと感性が伝わる句である。(秋・初句切れ)
※赤とんぼ… 秋の季語。ちなみに「とんぼ」も秋の季語であり、夏の季語と間違えやすいので注意。
※赤とんぼ… 赤とんぼであることだよ、と詠嘆を表している。
※葉末(はずえ)… 葉の先端。
※すがり…しがみついて。
※体言止め。
※すがり… 擬人法。葉末に必死にしがみついているかのような赤とんぼの健気な様子が印象的に表されている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
秋風に山羊をつないで雲遠し(富安風生)
・あきかぜに やぎをつないで くもとおし
・秋風わたるのどかな農村の農道を歩いていると、山羊(やぎ)が木につながれ、静かに草を食(は)んでいる。目を移すと、白い雲が漂っているのは、この澄んだ秋空のはるか彼方であることだ。
・静かな秋のたたずまいの中での作者のもの寂しい情感が伝わってくる。また、視野の変化が空間の広がりをも感じさせている。(秋・句切れなし)
※秋風(あきかぜ)… 秋の季語。
※秋風に… 秋風の吹く中で。
※雲遠し… 雲が遠くにあることだよ、と詠嘆を表してる。
秋風の吹きわたりけり人の顔(上島鬼貫)
・あきかぜの ふきわたりけり ひとのかお
・野道を行く私の顔にも、人の顔にも、そっとなでるように秋風が吹き過ぎていったことだ。その表情も心なしかもの寂しげである。
・野道に遊び興じている作者や連れの人々が、秋風に吹かれた折にふと見せたもの寂しい表情や様子が目に浮かぶようである。(秋・二句切れ)
※秋風(あきかぜ)… 秋の季語。
※吹きわたりけり… 吹きすぎていったことだよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ 前書きに、「つれだち出(いで)てほとりの野径(のみち)に遊ぶ」とある。
秋空を二つに断てり椎大樹(高浜虚子)
・あきぞらを ふたつにたてり しいたいじゅ
・天高く、澄んだ秋の空を、椎(しい)のこの大樹(たいじゅ)は、まさに真二つに断ってしまっていることだ。
・天を突く勢いでそびえ立っている生命感溢れる椎の大樹の力強さ、見事さが大変印象的である。(秋・二句切れ)
※秋空(あきぞら)… 秋の季語。
※断てり… 強く言い切ることで、まさに断っていることだよ、と強い詠嘆を表している。
※椎(しい)… ブナ科の常緑高木。高さは約25mにもなる。材は建築・器具・燃料等のほか、シイタケの原木に用いられる。果実は食べられる。
※体言止め。
※断てり…擬人法により、椎の大樹の存在感、力強さを強く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
秋たつや川瀬にまじる風の音(飯田蛇笏)
・あきたつや かわせにまじる かぜのおと
・立秋の日、まだ陽の強さは夏のままではあるが、川瀬(かわせ)から聞こえてくるせせらぎに混じって耳にしたかすかな風の音には、澄んだ秋の気配がそれとなく感じられたことだ。
・川瀬の音に風の音を聞き分ける作者の感覚の繊細さとともに、一種幽玄(ゆうげん)な趣さえ感じられる句である。(秋・初句切れ)
※秋立つ… 秋になる。秋の季語。
※秋立つや… 秋になったことであるよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
秋晴れや宇治の大橋横たわり(富安風生)
・あきばれや うじのおおはし よこたわり
・京都宇治(うじ)の大橋が、広々とした宇治川をまたぎ、堂々と、そしてゆったりと横たわっている。空も広く、すがすがしくのどかな秋晴れである。
・歴史の長い宇治橋の堂々とした存在感を、賛嘆する思いも込めて詠んでいる。(秋・初句切れ)
※秋晴れ(あきばれ)… 秋の空が青々と澄んで晴れ渡った状態。秋の季語。
※秋晴れや… 秋晴れであることだよ、と詠嘆を表している。
※宇治の大橋… 宇治橋。大化二年(646年)に初めて架けられたという伝承のある、京都府宇治市の宇治川に架かる橋。古今和歌集や源氏物語にも登場する。
※横たわり… 横たわっていて。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※横たわり… 擬人法。大きく長い宇治橋の立派でゆかしい様子を、親しみを込めて印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※横たわり… 連用形止め。「横たわります」「横たわりけり」などと言い切らずに動詞の連用形で止め、余情を持たせている。
秋の夜や障子の穴が笛を吹く(小林一茶)
・あきのよや しょうじのあなが ふえをふく
・秋の夜、みすぼらしい我が家の破れ障子の穴から冷たい風が吹きこんできて、ヒュー…、ヒュー…と笛のような、これまた侘(わび)しい音を立ててくれるものだよ。
・秋の夜のもの寂しさとともに、暮らしの貧しさに対する開き直りともとれる、一茶の心の余裕さえ感じさせる大変ユーモラスな句である。(秋・初句切れ)
※秋の夜(あきのよ)… 秋の季語。
※秋の夜や… 秋の夜であることだよ、と詠嘆を表している。
※障子… 冬は障子を閉め切って寒さや風を防ぐことから、冬の季語としても用いられる。また、「障子貼る」であれば秋の季語であるので注意。
※元来障子は、「さえぎるもの」の意で襖(ふすま)も含めて障子と呼んでいた。扉を閉じたまま採光できる機能や防寒機能を併せ持つことにより、平安時代に明障子(あかりしょうじ)として襖(ふすま)から分離し普及した。
※障子の穴が笛を吹く… 擬人法。一茶の暮らしの貧しさに対する自嘲やユーモアがいっそう強く感じられる。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「秋の夜」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
秋深き隣は何をする人ぞ(松尾芭蕉)
・あきふかき となりはなにを するひとぞ
・秋は深まり、あたりも日一日ともの寂(さび)しい風情となってくる。私の隣の部屋に宿っている人もまた、私と同じように寂しい思いをしているのだろうか。物音一つ立てずに、一体何をしているのだろう。
・人生の本質に基づく寂寥(せきりょう)感・孤独感から発せられる嘆息(たんそく)である。また、人を懐かしがる心の温かみも伝わってくる。芭蕉、亡くなる半月ほど前の吟である。(秋・初句切れ)
※秋深き… 秋の季語。「秋深し」。秋もたけなわであることだよ、と詠嘆を表している。ちなみに弟子らによる句集「六行会」には「秋深し」で掲載されている。
※隣は何をする人ぞ… 隣には一体何をしている人がいるのだろう、と詠嘆を表している。
※元禄七年(1694年)九月二十八日、大坂(大阪)での吟。翌二十九日夜、芭蕉は激しい下痢に襲われそのまま病床に就き、二週間後の十月十二日に亡くなる。この作品は芭蕉が病床に就く前としては生涯最後の作品となった。
※元禄七年(1694年)五月、芭蕉は筑紫までの旅を思い立ち、江戸を出発。途中郷里である伊賀に帰り、その後京阪に至るも、九月二十九日夜、大坂(大阪)で激しい下痢に襲われた。御堂前の花屋仁左衛門宅に引き取られたが、十月八日深夜、病床(びょうしょう)にあってなお「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を詠み、四日後の十二日夕刻、榎本其角、向井去来、内藤丈草、各務支考ら多くの門人たちに看取られながら亡くなった。享年51。
※「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句には前書きに「病中吟(病気中に吟じた句)」とあるとおり、実際は吟じられた時点においては芭蕉本人はこの句が自分にとって辞世の句であるという認識はなかった。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
朝顔につるべ取られてもらひ水(加賀千代女)
・あさがおに つるべとられて もらいみず
・朝早く、井戸に水を汲(く)みに来てみると、つるべに朝顔のつるが巻き付いていて水を汲むくとができない。つるを切ってしまうのもかわいそうな気がして、隣(とな)りの家に水をもらいに行ったことだ。
・女性らしい細やかな目線、優しさや思いやりが伝わってくる句である。(秋・句切れなし)
※朝顔… 秋の季語。旧暦七~九月は秋。季節を夏と間違えやすいのでテストで頻出。
※つるべ… 井戸の水を汲み上げるための装置で、縄や竿(さお)の先に桶(おけ)がつけてある。
※もらひ水… 人から水をもらったことであるよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※取られて… 擬人法により、「取られてしまって」と、か弱い植物への女性らしい思いやりが伝わってくる。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※理智で創作したわざとらしさが嫌味であるとする批評がある。
朝顔や一輪深き淵の色(与謝蕪村)
・あさがおや いちりんふかき ふちのいろ
・すがすがしい秋の朝、露にしっとりと濡(ぬ)れ、咲きそろっている朝顔の花々の中で、ただ一輪、深い藍(あい)色をした花がある。それは、底知れぬ深い淵(ふち)を思わせる、幽遠(ゆうえん)な色であることだ。
・朝顔の花の美しさを淵の色に形容し、そこに無限の深みを感じ取っている。自然のもつ底知れない色彩美への驚嘆(きょうたん)である。(秋・初句切れ)
※幽遠(ゆうえん)… 奥深く、はるかなこと。
※朝顔… 秋の季語。旧暦七~九月は秋。季節を夏と間違えやすいのでテストで頻出。
※朝顔や… 朝顔であることだよ、と詠嘆を表している。
※淵(ふち)… 川などの水がよどんで深くなっている所。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※深き淵の色… 「深い淵のような色」の意で、比喩(隠喩)。
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
紫陽花やきのふの誠けふの嘘(正岡子規)
・あじさいや きのうのまこと きょうのうそ
・紫陽花(あじさい)の花の色は移ろいやすい。以前の咲き色を微妙に変えて、今日はまたすました様子で咲いている。
・移ろいやすく定まらないのは、人の心もまた同じである。(夏・初句切れ)
※紫陽花(あじさい)… 花(萼=がく)の色はアントシアニンのほか、発色に影響する補助色素や土壌のpH(酸性度)、アルミニウムイオン量、開花からの日数等諸条件により様々に変化する。また、アジサイは毒性があり、摂食すると中毒を起こす。花言葉は、「移り気」「あなたは冷たい」「浮気」「自慢家」など。夏の季語。
※紫陽花や… 紫陽花であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※きのふの誠けふの嘘… 昨日の真実も今日には一転して嘘と変わってしまう、と紫陽花の移ろいやすく定まらない様子を擬人化している。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
荒海や佐渡に横たふ天河(松尾芭蕉)
・あらうみや さどによことう あまのがわ
・越後は出雲崎(いずもざき)に宿をとり、目の前の荒波立つ日本海を眺めていると、黒々と潜(ひそむ)む流人(るにん)の島、佐渡の哀(かな)しい島影から打ち寄せる波の音に旅愁を誘われ、横たわるように佐渡にさえざえとかかった銀河の橋は、私の心に旅の寂しさと悲しさをいっそう募らせ、胸いっぱいになって涙が溢(あふ)れてくることだ。
・表面上は雄大な景観を詠(よ)んだ写生句のようだが、流人の島、佐渡から打ち寄せる波の音に遠島された古人への同感を抱くとともに、旅中の孤愁に襲われ、その悲しみを深く内に込めた複雑な心境が詠まれたものである。(秋・初句切れ)
※荒海や… 荒れた日本海の海であることだよ、と詠嘆を表している。
※横たふ(よことう)… 天の川が横たわるようにして大空にかかっている壮大な景観を表している。
※天河(天の川)… 銀河。秋の季語。季節を夏と間違いやすいので注意。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※横たふ… 擬人法。天の川が横たわるようにして大空にかかっている壮大な景観をたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)、七夕の吟。
※「おくのほそ道」の旅の後、芭蕉は「銀河の序」で次のように書き記している。
「むべこの島は黄金(こがね)多く出でて、あまねく世の宝となれば、限りなきめでたき島にて侍(はべ)るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流(おんる)せらるるによりて、ただおそろしき名の聞(きこ)えあるも、本意(ほい)なき事に思ひて、窓押し開きて暫時(ざんじ)の旅愁(りょしゅう)をいたはらむとするほど、日すでに海に沈んで、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴(さ)えたるに、沖のかたより、波の音しばしば運びて、魂(たましい)けづるがごとく、腸(ちょう)ちぎれて、そぞろに悲しび来たれば、草の枕も定まらず、墨の袂(たもと)なにゆゑ(え)とはなくて、しぼるばかりになむ侍る。」
(なるほど佐渡が島は金を多く産出する、世の宝であり、ありがたい結構な島ではあるが、重罪者や朝敵のたぐいが島流しにされていることのために、ただ恐ろしい名で評判があるのも残念なことと思いながら窓を押し開けて旅の憂いを慰めようとしていると、日はすでに海に沈み、月はほの暗く、天の川が空の中ほどにかかり、星がきらきらと冴えわたり、沖の方からは波の音がしばしば響いてきて、胸が締め付けられるようで、断腸の思いがし、無性に悲しみが込み上げてくるのでなかなか寝付けず、墨染めの衣の袂は、なぜともなく涙でしぼるばかりでありました。そこで詠んだのがこの句です。『荒海や佐渡に横たふ天の川』)
※この句は芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途上、七夕の日(新暦8月21日)、直江津(高田)の佐藤元仙宅で催された句会で吟じたものであるが、記録によれば7月7日当日は終日雨模様であり、夜には風雨ともにいっそう激しくなっていることから、芭蕉は実際にはその晩に天の川を見ていないことになる。しかし4日については、弥彦を発った朝方は快晴、夕刻に出雲崎に到着してのち、「夜中に強雨となる」と記録があるので、4日当日、天候が崩れる直前、この出雲崎で天の川を見るわずかな時間があった可能性がある。出雲崎での4日、あるいはそれ以前の数日間にその着想を得、7日に当地の句会で吟じ、披露したということなのだろうか。(諸説有り)
※参考:曾良の「随行日記」に次のような記録がある。
・7月4日(新暦8月18日)
快晴。午前7時半頃に弥彦を発ち、同日午後3時半頃、出雲崎に到着、宿をとる。夜中、強雨となる。
・7月5日(新暦8月19日)
夜来の雨、朝まで続く。午前7時半頃、雨が止み、出雲崎を発つ。間もなくしてまた雨が降り出す。柏崎に至った後、…(中略)… 午後4時半頃、鉢崎に到着し宿をとる。
・7月6日(新暦8月20日)
雨、上がる。昼頃、直江津(今町)に到着。雨が強く降り、古川市左衛門宅に宿泊することに。夜、句会を催す。
・7月7日(新暦8月21日)
雨、降り続く。夜、佐藤元仙宅にて句会を催す(『荒海や佐渡に横たふ天の川』を吟ずる)。同宅に泊まる。昼のうちは少し止んでいた雨だが、夜になると風雨ともに激しくなる。
・7月8日(新暦8月22日)
雨が止む。午後2時半頃、高田に到着。
※俳人、荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)は、「天の川は出雲崎から見て、佐渡の方には横たわってはいない。したがってこの句は客観的な写生の句ではない」と述べている。一方、中野二三郎は、「天の川は西南からやや斜めに東北にかけて街を横ぎり、佐渡の方へ流れていた。この感じは確かに『佐渡に横たふ天の川』である」と述べている。
※横たふ… 「横たふ」は「何かを横にする」の意の他動詞であり、しかも連体形であれば「横たふる天の川」とすべきであるが、芭蕉はこの句では「何かが横たわる」の意の自動詞「横たはる」の代わりとして使用している。文法上の約束を超えているのは、漢文訓読の影響、音数上の都合や印象に鮮明さを与えるための芭蕉の意図によるものなのかもしれない。
あらたふと青葉若葉の日の光(松尾芭蕉)
・あらとうと あおばわかばの ひのひかり
・ああ、何と尊いことよ。東照権現(とうしょうごんげん=徳川家康)のおわす日光山(にっこうざん)に茂る青葉若葉には、初夏の陽光がさんさんと降り注ぎ、それはそれは美しく照り輝いていることだ。
・夏のまぶしいばかりの陽光が全山を包み、青葉若葉に照り輝いて、ああ、いかにも尊いことだ、という初夏の自然美を称(たた)える心情の中に、「日の光」に地名である「日光」を掛け、東照宮や徳川家の威光を賛嘆(さんたん)する思いを込めている。(夏・初句切れ)
※あら… 「ああ」「おや」など感嘆を表す。感動詞「あな」と同義だが、「あな」が雅語(和歌などで用いられる上品な言葉)として多く用いられるのに対し、「あら」には俗語的な語感が伴う。
※たふと(とうと)… 尊いことであるよ、と詠嘆を表している。
※青葉・若葉の… 青葉や若葉に照り輝く。青葉、若葉ともに夏の季語。ちなみに「新緑」も夏の季語である。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※初夏に芽を開いた頃の黄色味を帯びた葉を「若葉」、青々とした盛夏(真夏)の葉が「青葉」である。同じ夏であっても初夏と盛夏とでは季節感が異なり、両者は厳密には同季の季語ではないが、芭蕉は初夏の自然美への感嘆と賛美の思いを、約束を超えて、それを素直に謳歌せずにはいられなかったのだろう。
※この句が夏の始まりである旧暦四月一日(新暦5月19日)に詠まれたとされるため、季語を青葉ではなく若葉とする場合が多いようであるが、青葉、若葉の両方を季語としてとる場合もある。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)、四月一日(新暦5月19日)、日光東照宮参詣の折の吟。
※會良の日記によれば、この日は終日曇天(どんてん)であったという。芭蕉の心象の中には、事実を超えて、日光山および東照宮が燦然と輝いていたのだろう。
蟻の道雲の峰よりつづきけん(小林一茶)
・ありのみち くものみねより つづきけん
・夏の暑い日差しのもと、ふと地面を見下ろすと、無数の小さな蟻たちが長い長い行列を作って、それが延々と続いている。地平線を見やると、そこに豪壮な姿の入道雲が聳(そび)え立っている。きっとこの行列は、あの彼方の入道雲からずっと続いているのだろうよ。
・小さな蟻の生きる営みの力強さ、無限に等しい空間の広がりを感じさせる幻想(げんそう)的な味わいをも持った句である。また、大きいはずのもの(豪壮な入道雲の存在)と、小さいはずのもの(入道雲に負けず劣らぬ蟻の生命力の底知れぬ強さ)とを同一の場面の中に対照的に描いている面白さも味わいたい。(夏・初句切れ)
※蟻… 夏の季語。
※雲の峰… 入道雲。積乱雲。夏の季語。
※つづきけん… 続いているのだろうよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「蟻」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「おらが春」(1852年)所収。
※尚、下五は、「おらが春」では「つづきけん」、「八番日記」では「つづきけり」となっている。
生きかはり死にかはりして打つ田かな(村上鬼城)
・いきかわり しにかわりして うつたかな
・黙々と田を打ちおこしている男がいる。彼は、その親から受け継いだであろう田を、こうして今、打ちおこす。彼の親もまた、先祖からその田を受け継ぎ、春になれば、彼と同じように田を打ちおこし、永らくそれを守ってきたことだろう。黙々と、黙々と、男は田を打ちおこす。彼自身の子や孫たちもまた、春になればこうしてその田を打ちおこし、永らくそれを守っていくにちがいない。田を打ちおこしている男がいる。ただ黙々と、田を打ちおこす男がいる。
・先祖代々の田を無心に打ち起こす人の姿。時間の流れの中を交錯(こうさく)する過去と現実を遠望し、百姓という存在の無名性を詠っている。(春・句切れなし)
※打つ田… 田打ち。春、田植えに先立ち、田の土をすき返すこと。春の季語。ちなみに「畑打ち」も春の季語であるが、「田植え」は夏の季語なので注意。
※打つ田かな… 田打ちをしていることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
いくたびも雪の深さを尋ねけり(正岡子規)
・いくたびも ゆきのふかさを たずねけり
・今、外で降っているという雪は、いったいどのくらい積もっているものだろう。自分は病の床に臥(ふ)して起き上がれないので、子どものように逸(はや)る気持ちで、折々家人に尋(たず)ねては、それを知ろうとしたことだ。
・心騒ぐのに雪の降り積もる様子を自分の目で見て確かめられない辛さよりも、子供のように無邪気に心弾ませる意外な自分自身を発見した驚きが自嘲気味に伝わってくる。ちなみに、子規が雪の深さを尋ねた家人とは、看病に当たっていた子規の妹、律である。(冬・句切れなし)
※雪… 冬の季語。
※尋ねけり… 尋ねたことだよ、尋ねることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
池さびし菖蒲の少し生ひたれど(水原秋桜子)
・いけさびし しょうぶのすこし おいたれど
・何か物足りなく、さびしい佇(たたず)まいの池であることだ。菖蒲(しょうぶ)がわずかに生えてはいるのだが。
・菖蒲の花の華やかさも、今は自分の心を満たすほどのものではないという作者の寂しさ、心細さと重なる池の情景である。(夏・初句切れ)
※池さびし… この池はさびしい風情であることだよ、と詠嘆を表している。
※菖蒲(しょうぶ)…夏の季語。
※菖蒲(しょうぶ)について
①花菖蒲(はなしょうぶ)… アヤメ科の多年草。葉は剣状。江戸時代にノハナショウブを改良した園芸種で、水辺に栽培される。初夏、花茎の頂に紫、淡紅、白、黄、ピンクなどの大型の花を開く。菖蒲湯に使われるサトイモ科のショウブとは別種で、一般にショウブというと、この「ハナショウブ」を指すことが多い。花弁の元に黄色い目型の模様があるのが特徴。
②菖蒲(しょうぶ)… サトイモ科常緑多年草。湿地に自生。葉は剣状で、初夏、淡黄色の小花が円柱状に集まってつく。池や水辺などに群生する。日本では古くから邪気を払うものとして、端午の節句に軒にさしたり、風呂に入れたりする。
※ちなみに、花菖蒲によく似た菖蒲(アヤメ)は山野の草地などに自生し、生育地は特に湿地を好むというわけではない。また、同じアヤメ科のカキツバタの場合は湿地を好むが、花弁の弁元に白い目型の模様があり、葉の主脈がハナショウブほど目立たないのが特徴。
いざ子ども走りありかん玉霰(松尾芭蕉)
・いざこども はしりありかん たまあられ
・さあ、子どもたちよ、外に出て一緒に走り歩こうよ。勢いよくあられが降ってきているぞ。
・人々の驚きや浮き立つ心、愉快さがよく伝わってくる、健康的で明るい句である(冬・二句切れ)
※いざ… さあ。
※子ども… 子どもたちよ。
※走りありかん… 走り歩こうよ。
※霰(あられ)… 水蒸気が空中で急に氷結して、白色の小さな玉となって降る。直径2~5mm。雹(ひょう)は霰(あられ)が大きく成長したもの(直径5mm以上)。「玉霰」という表現には、無数に降り注ぐ小粒の美しい玉のような印象的な語感がある。冬の季語。
※体言止め。
※いざ子ども… 呼びかけ法。さあ子どもたちよ、と親しみを込めて呼びかけている。
※「子ども」とは児童を指すのではなく、句会に連なった芭蕉の若い弟子たちを指しているといわれている。当日の一座には、良品の妻智周(20歳)、土芳(34歳)、半残(37歳)、三園(年齢不詳)らがいた。芭蕉自身の年齢はこの時46歳。
※芭蕉、 「おくのほそ道」の旅を終えて二か月後、元禄二年(1689年)十一月一日(新暦12月12日)、伊賀上野の友田良品(ともだりょうぼん)宅での吟。
いざ行かむ雪見にころぶ所まで(松尾芭蕉)
・いざゆかん ゆきみに ころぶところまで
・さあ、みなさん、雪見の宴(うたげ)に行きましょう。雪に足をとられて転ぶかもしれませんが、それも一興(いっきょう)、さあ、さあ、転ぶところまで行きましょうよ。
・雪見の宴を子供のように無邪気に心踊らせる作者と、その連れの者たちの華やいだ様子が目に浮かぶ。いかにも楽しそうな、明るくはずんだ調子が印象的である。(冬・初句切れ、中七の中間切れ)
※いざ… さあ。
※行かむ(ゆかん)… 行きましょう。
※雪見(ゆきみ)… 雪景色を眺め楽しむ宴。冬の季語。
※ころぶ所まで… 雪に足をとられて転んでしまうことがあっても、それも風情の楽しみの一つだから良いではないですか。さあ、とにかく転ぶ所まで行きましょう。この表現から、いかに作者が雪見を楽しみにし、心はずませているかがわかる。
※いざ行かむ… 呼びかけ法。さあ行きましょうよ、と呼びかけ、親しみを込めて誘いかけている。また、芭蕉自身の明るくはずむ気持ちが強く表出している。
※倒置法。本来は「いざ、雪見に行かむ」「ころぶ所まで行かむ」となる。
※「笈の小文」の旅(1687年)の途中、名古屋の門弟で書籍商、風月堂孫助(俳名:夕道)邸での雪見の宴に際し詠まれた。
※初句で切れ、また、中七の途中で詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
※「君火をたけよきもの見せん丸げ」と同様、親しい者たちとともに童心にかえって遊びに興ずる芭蕉の素朴で純真な人柄がうかがわれる。
※初案は「いざ出でむ雪見にころぶ所まで(さあ、出掛けましょうよ。楽しい雪見の宴に。老いの身に物好きと言われましょうが、それも一興。さあ、雪に足をとられて転んでしまう所まで)」、推敲案が「いざ行かむ雪見にころぶ所まで」(笈の小文)、最終決定稿が「いざさらば雪見にころぶ所まで(では行ってきます。楽しい雪見の宴に。老いの身に物好きと言われましょうが、それも一興。さあ、雪に足をとられて転んでしまう所まで)」。
石仏誰が持たせし草の花(小林一茶)
・いしぼとけ だれがもたせし くさのはな
・道端(みちばた)に鎮(しず)まっていらっしゃる石の仏様の手の上には、誰が供えたものであろう、秋の草花がのせられていた。草花を供え拝んでいった人の心を思うと、私もまたその温かな心持ちに包まれたことだ。
・作者の優しく穏やかな目線を通して、人々の日常の素朴な生活感情がほのぼのとした温もりとともに伝わってくる。(秋・初句切れ)
※石仏(いしぼとけ)… 石で作った仏像。せきぶつ。
※持たせし… 持たせた~。(連体形)
※草の花… 「草の花」「草花」は秋の季語。秋の野原に花を咲かせている草花。
※体言止め。
※「七番日記」(1811年)所収の句。
無花果のゆたかに実る水の上(山口誓子)
・いちじくの ゆたかにみのる みずのうえ
・池のほとりの無花果(いちじく)の木には、その赤い実がたわわに実り、
その姿を水面に映し込んでいることだ。
・無花果の実りの豊かさと池の静けさが、秋の気配に包まれた辺りの情景とともに印象的に描き出されている。(秋・二句切れ)
※無花果(いちじく)… クワ科の落葉小高木。葉や茎を傷つけると、白色の乳液を出す。葉は掌状で薬用。夏に小さな花のう(かのう)ができ、中に多くの薄紅色の花をつけ、夏から秋に熟して果実となる。果実は食用。秋の季語。
※ゆたかに実る… ゆたかに実っていることだよ、と詠嘆が込められている。
※水の上… 水の上に。
※体言止め。
※倒置法… 「水の上」は意味の上では一句目に来る。
一連の露りんりんと糸芒(川端茅舎)
・いちれんのつゆりんりんといとすすき
・糸芒(いとすすき)の細い葉に並んでついたいくつもの露(つゆ)が、はかない輝きを放って美しいことだ。
・はかない輝きをつかの間放って見せている露のしっとりとした美しさが印象的である。(秋・二句切れ)
※一連の… 茎の上に露がひと続きになって並び乗っている様子。
※露(つゆ)… 大気中の水蒸気が冷えて凝結(ぎょうけつ)し、地上の物に付着した水滴(すいてき)。夏の終わりから秋の早朝に露が降りやすい。秋の季語。テストで頻出。
※りんりんと… はかないながらもつかの間輝いて見せている露の美しく、また引き締まった様子。
※糸芒(いとすすき)… 葉が糸のように細い園芸種のススキ。草丈は約1m。秋の季語。
※露と芒(すすき)はともに秋の季語であるが、この句では感動が注がれている露を季語とする。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「露」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※りんりんと… 擬態語。
一軒家もすぎ落葉する風のままに行く(河東碧梧桐)
・いっけんやもすぎおちばするかぜのままにゆく
・冬の冷たい風が吹く中、村里を歩いていくと、とうとう村はずれの一軒家も通り過ぎた。人家は絶え、いよいよ辺りはうら寂(さび)しく、風が枯れ葉を落ち散らす中、風に吹かれるままに、私は歩みを進める。(自由律俳句)
※落葉(おちば)… 冬の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※自由律俳句。
※大正13年頃の吟。
犬よちぎれるほど尾をふってくれる(尾崎放哉)
・いぬよちぎれるほどおをふってくれる
・犬よ、孤独な私を迎えるように、精一杯尾を振ってくれている。ちぎれるほどに、喜んでこの私のために尾を振ってくれている。
・たとえそれが犬一匹であろうとも、命あるものとの触れ合いによって得られたささやかな温もりと喜びであるが、却って作者の孤独感はいっそう募って感じられていったことだろう。(自由律俳句)
※自由律俳句。
※兵庫県の須磨寺時代(大正13~14年)の作品。「大空(たいくう)」(大正15年・没後出版)所収。
妹を泣かして上がる絵双六(黛まどか)
・いもうとを なかしてあがる えすごろく
・お正月、姉と妹とが一緒に双六(すごろく)をして、初めは仲良く遊んでいたのだが、だんだん自分の負けが見えてきた姉は、妹なぞに負けまいと悔しく思って、最後はずるをして妹を泣かせて先に上がってしまったことだ。
・姉の負けん気の強さ、つかの間の優越感と後悔、そして、妹の納得のいかない悔しさ。日常の姉妹の触れ合いの一こまがほのぼのとした情感とともに伝わる。(新年・二句切れ)
※泣かして上がる… 泣かして上がったことだよ、と詠嘆を表している。
※双六(すごろく)… さいころを振り、出た目の数だけ振り出しから順々に駒を進め、上がりの速さを競う遊び。絵双六(えすごろく)。新年の季語。
※体言止め。
芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)
・いものつゆ れんざんかげを ただしゅうす
・里芋(さといも)の葉には水晶のような大きな露(つゆ)が降り、美しくきらめいている。空気の澄み切った朝の里芋畑である。遠景に目をやると、冴(さ)え冴(ざ)えとした空のはるか遠くに、南アルプスの連山が、まるで姿勢を正すかのように、格調高く、凛(りん)としてその山容(さんよう)を誇り、鮮やかに見えていることだ。
・小から大へ、近景から遠景へと広がる風姿を鮮やかに活写している。(秋・初句切れ)
※芋… 古くは山芋、里芋を指していた。江戸時代中頃からはさつま芋、末期からジャガ芋を指すようになる。ここでは蛇笏の故郷、境川村(甲府盆地)の里芋畑で栽培されていた里芋のこと。
※露(つゆ)… 大気中の水蒸気が冷えて凝結(ぎょうけつ)し、地上の物に付着した水滴(すいてき)。夏の終わりから秋の早朝に露が降りやすい。秋の季語。テストで頻出。
※連山(れんざん)… 連なり続いている山々。連峰。
※影(かげ)… ものの姿・形。
※正しうす(ただしゅうす)… 姿勢などを正しくする。連山の山容が堂々として立派に見える様子。
※芋の露… 芋の葉の上に結んだ美しい露であることだよ、と詠嘆を表している。
※連山影を正しうす… 連山がその姿を正していることだよ、と詠嘆を表している。
※連山影を正しうす… 擬人法。連山が姿勢を正している、と連山を擬人化し、くっきりと浮かび上がる勇壮な姿をたとえている。連山の山容の鮮やかさ、格調高さが印象的である。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※大正3年、蛇笏が29歳の時に郷里の山梨県境川村で詠んだ句。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
入れ物がない両手で受ける(尾崎放哉)
・いれものがないりょうてでうける
・無一物(むいちぶつ)の生活に真実を得ようとしている自分には、入れ物すら無い。ほどこしものを受けるのに、両手いっぱいで受けとめたことだ。
・貧しさの中にあってこそもたらされるものの意味を考えさせてくれる句である。(自由律俳句)
※自由律俳句。
※小豆島南郷庵時代(大正十四~十五年)の作品
鰯雲人に告ぐべきことならず(加藤楸邨)
・いわしぐも ひとにつぐべきことならず
・私が仰ぎ、見つめているのは、天高い秋の空に広がる美しい鰯雲(いわしぐも)である。私の胸の中を占めている深く大きな苦悩、それはただ私の心の中に秘めておけばよいものであって、人に告げるべきものではない。大空に広がる美しい鰯雲を仰ぎ、今、私はそうして自分自身と向き合っているのだ。
・自然現象と作者の私的な人事という対照的な世界を掛け合わせることで、作者の思いの深さをいっそう強く伝えている。(秋・初句切れ)
※鰯雲(いわしぐも)… 巻(絹)積雲(けんせきうん)。うろこ雲、さば雲。6~10km上空にできる。漁師はいわしの大漁の前兆とする。秋の季語。
※鰯雲… 鰯雲であることだよ、と詠嘆を表している。
※人に告ぐべきことならず… 私が心に秘めていることを人に告げるべきものではないのだ、という確信や詠嘆が込められている。
※「寒雷(かんらい)」(昭和14年所収)
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
うかうかと我門過る月夜かな(夏目漱石)
・うかうかと わがもんすぐる つきよかな
・美しい月に見とれながら歩いていて、ついうっかりと自分の家の門の前を通り過ぎてしまった、そんないい月夜であるよ。
・美しい秋の月に心奪われ、そのために決まり悪い思いをしている漱石の姿が想像される、明るくユーモラスな句である。(秋・句切れなし)
※うかうかと… 不注意なさま。うっかり。
※我門過る… 自分の家の門の前を通り過ぎてしまった。また、「われ、もんすぐる(私は目的の家の前を通り過ぎてしまった)」などと読む場合がある。
※月夜(つきよ)… 月が明るく照っている夜。つくよ。秋の季語。
※月夜かな… 月夜であることだよ、と詠嘆を表している。
※うかうかと… 擬態語。
※明治29年(1896年)1月3日、子規の根岸庵で開かれた句会での吟。
鶯の身を逆に初音かな(宝井(榎下)其角)
・うぐいすの みをさかさまに はつねかな
春を迎え、鶯(うぐいす)が梅の木の枝々を飛び移りながら、時には枝に逆さまに掴(つか)まっては美しい声で一心にさえずっている。春を告げる鳥が聞かせてくれる、心地よい初音(はつね)であることだ。
・鶯の身軽い動き、初音の心地よさを鮮明な印象として伝える句である。(春・句切れなし)
※鶯(うぐいす)… ヒタキ科の小鳥。褐色を帯びた緑色。体長約15㎝。日本のほぼ全土に分布。食性は雑食だが、夏場は主に昆虫を補食、冬場は植物の種子なども食べる。山地のやぶの中につぼ状の巣を作って繁殖し、冬は低地に下る。オスは「ホーホケキョ」と聞こえる澄んだ声で鳴く。春告げ鳥。春の季語。テスト頻出。
※初音(はつね)… ウグイス、ホトトギスの、その年初めて鳴く声。年に二回あるものは先のものを正とする、という俳句の世界の慣例で、単に「初音」といえばウグイスの初音を指す。
※初音かな… 初音であることだよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「初音」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ウグイスとメジロの混同について
日本では古くから花札や日本画などで「梅に鶯」といった取り合わせに馴染みが深いが、春を告げる鳥として親しまれているウグイスとメジロはよく混同されている。両者の違いであるが、ウグイスは警戒心が強く藪の中から出て来て姿を見せることがほとんどなく、花蜜を吸うこともめったにない。体色は灰褐色(鶯茶)で、体長は約15㎝である。それに対しメジロは比較的警戒心が緩く、早春に梅や椿の花蜜を求めて木々を渡る姿を目にする機会が多い。体色は草色(黄緑色)であり、目の周りがはっきりと白く、体長は約12㎝と日本で見られる野鳥の中では最も小さい部類に入る。
※目白(めじろ)… メジロ科。背面が草色(黄緑色)で目の周りが白い小鳥。体長約12㎝。昆虫、クモ、果実、椿の蜜などを食べる。日本全土の低山や平地の森林にすみ、冬は群生する。「チーチーキュルキュル」と美しい声で鳴き、また姿もよいので観賞用にもされる。
※向井去来は其角のこの句について、「早春に初音を聞かせる鶯はまだ幼い鶯であろうから、枝に逆さに掴まって鳴くなどといった芸当がまだできるはずがない。作句するからにはきちんとものの本性を知っておくべきである」とその虚構性を批判したが、実際には幼いウグイスでもそのような動態が観察されるとのことである。
鶯や茶の木畑の朝月夜(内藤丈草)
・うぐいすや ちゃのきばたけの あさづくよ
・一面の茶の木畑はまだ黒い影を宿し、空にはまだ淡(あわ)い月がかかった静かな明け方である。ふと、その静けさの中に、うぐいすの鳴き声が聞こえてきた。さわやかな春の早朝であることだ。
・ひんやりとした春の清澄(せいちょう)な空気に包まれた明け方の茶の木畑に静かに響く鶯の声。心が澄み、清まるような早朝の清閑(せいかん)な情景である。(春・初句切れ)
※鶯(うぐいす)… ヒタキ科の小鳥。褐色を帯びた緑色。体長約15㎝。日本のほぼ全土に分布。食性は雑食だが、夏場は主に昆虫を補食、冬場は植物の種子なども食べる。山地のやぶの中につぼ状の巣を作って繁殖し、冬は低地に下る。オスは「ホーホケキョ」と聞こえる澄んだ声で鳴く。春告げ鳥。春の季語。テストで頻出。
※鶯や… 鶯(の鳴き声)であることだよ、と詠嘆を表している。
※茶の木畑(ちゃのきばたけ)… 茶畑。茶畑は春の季語。
※朝月夜(あさづくよ)… 明け方の月、月の光が差している夜明け方。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
動くとも見えで畑打つ男かな(向井去来)
・うごくとも みえではたうつ おとこかな
・春の穏やかな日、広々とした田園のはるか遠くに目をやると、畑を耕しているらしい一人の農夫がいる。彼は動いているとも見えないが、よく見ると、やはり鍬(くわ)を上げたり下げたりして畑を耕しているのだなあ。
・ひらけた田園と、のどかな春の情景の中にとけ込んでいる一人の農夫の姿である。(春・句切れなし)
※動くとも見えで… 動いているとも見えないのに。
※畑(はた)打つ… 畑(はた)打ち。春先に鍬(くわ)などで畑を耕(たがや)すこと。春の季語。ちなみに「田打ち」も春の季語であるが、「田植え」は夏の季語であるので注意。
※男かな… 男であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
牛の子が旅に立つなり秋の雨(小林一茶)
・うしのこが たびにたつなり あきのあめ
・しめやかに秋雨の降る中、まだ歩みたどたどしい子牛が、親牛から引き離されて売られてゆく。
・少年の日に故郷を去った時の自分自身の姿を思い重ねている。秋のわびしい情景と、そこにうち重なる一茶の静かな感情の流出が心に響く。(秋・二句切れ)
※秋の雨… 秋雨(あきさめ)。秋に降る雨。
※旅に立つなり… 旅に立つことであるよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※うしの子が旅に立つなり… 擬人法。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※一茶は3歳で母と死に別れ、14歳の時には江戸へ奉公に出されている。 一茶自身の類似句に「夕時雨馬も古郷へ向いて嘶(な)く」「秋雨や乳離れ馬の関越ゆる」「馬の子の故郷はなるる秋の雨」などがある。
うたたねの顔へ一冊屋根にふき(江戸時代の川柳)
・うたたねの かおへいっさつ やねにふき
・転寝(うたたね)をしている者の顔の上に、悪戯(いたずら)で薄い本を一冊、広げて載(の)せ、屋根を葺(ふ)いてやった。
※川柳(せんりゅう)… 江戸時代中ごろから盛んになった、五・七・五の十七字の短詩。季語や切れ字の制約がなく、滑稽(こっけい)、機知、風刺(ふうし)を特色とする。
■江戸古川柳
・花どろぼう 蝶(ちょう)は無言でおっかける
・気の毒さ 桜の下で雨やどり
・空を睨(にら)み睨み 弁当を内で喰(く)ひ(い)
・うたたねの 枕四五冊引きぬかれ
・いい月夜 やたら知った人にあひ(い)
・あの柿売(かきうり)め と大地へ叩(たた)きつけ
・掃除する人を 木の葉が呼び戻し
・すす掃(は)きに 一人か二人 馬鹿ななり
・素人が 餅屋(もちや)になると いそがしい
・くどかれて 娘は猫に ものを云(い)ひ(い)
・仲人は 雨までほめて 帰るなり
・片隅(かたすみ)へ 朝寝の旦那(だんな) 掃(は)き残し
・大仏は 見るものにして 尊(とうと)まず
・五右衛門は 生煮(なまに)えの時 一首よみ
※石川五右衛門、辞世の句(?)
石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ
埋火や壁には客の影法師(松尾芭蕉)
・うずみびや かべにはきゃくの かげぼうし
①火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、その灯(あか)り(埋み火の灯り)が対座する客の影を壁にぼうっと、そして大きく黒々と映し出している。寂しい冬のこの夜長を、埋み火を囲み、二人は静かに、しみじみと語り、過ごす。
・寒く寂然(じゃくぜん)とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)
②火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、傍(そば)の行灯(あんどん)の灯(あか)りは、対座する客の影を壁に大きく黒々と映し出ている。寂しい冬のこの夜長を、埋み火を囲み、二人は静かに、しみじみと語り、過ごす。
・寒く寂然とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)
③火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、行灯(あんどん)の灯りが壁に黒々と自分の影法師(かげぼうし)を映し出している。その影法師を相手として寂(さび)しさを紛らわせながら、寒い冬のこの夜長を一人静かに過ごすのだ。
・寒く寂然とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)
※埋火(うづみび)… 灰の中に埋めた炭火(すみび)。冬の季語。
※埋火や… 埋火であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※元禄五年(1692年)冬の吟。
乳母車揺るる林檎を持ちつづけ(中村草田男)
・うばぐるま ゆるるりんごを もちつづけ
・押された乳母車の中で、幼子(おさなご)が両手でりんごを持っている。車が揺(ゆ)れるので、落とさないようにと、守り抱くようにして、しっかりと持ち続けていることだ。
・幼子の小さな手に抱き守られている赤く大きな林檎一つ。あどけなく愛しい我が子を見つめる父親の優しい思いが伝わる。(秋・句切れなし)
※林檎(りんご)… 秋の季語なので注意。
※林檎を持ちつづけ… りんごを持ちつづけていることだよ、と詠嘆を表している。
うまさうな雪がふうはりふうはりと(小林一茶)
・うまそうなゆきがふうわりふうわりと
・綿をちぎったようにやわらかそうで、手にとって食べたらいかにもうまそうな雪が、空から舞い下りてくる。ふうわり、ふうわりと。
・やわらかな雪がゆったりと舞い下りてくる様子と、それを眺めながら楽しんでいる一茶の無邪気な心境が感じられる。単純素朴ではあるが童謡調の趣があり、読む者もまた懐旧(かいきゅう)の情を誘われる。(冬・句切れなし)
※雪… 冬の季語。
※うまさうな… うまそうな。「う」と「む」は古く共通して用いられたため、「むまさうな」とも表記する。
※ふうはりふうはりと… 「ふわりふわりと」よりも、浮かびながら舞い降りるようなゆったりとした感じ、そしてやわらかな語感を伴っている。
※ふうはりふうはりと… 擬態語。
※ふうはりふうはりと… 省略法。本来は「ふうはりふうはりと降る」であるが、動詞を省略することで余情を持たせ印象を深めている。
※反復法…「ふうわり、ふうわりと、またふうわりと」と同語を重ね、軽やかに舞い降りてくる雪の様子を鮮やかに印象づけている。
※文化十年(1813年)11月の吟。
馬の子の故郷はなるる秋の雨(小林一茶)
・うまのこの こきょうはなるる あきのあめ
・親馬から引き離されて、まだたどたどしい歩みの子馬が、しめやかに秋雨の降る中、売られてゆく。少年の日、故郷を去った時の私の姿が思い重なることだ。
・少年の日に故郷を去った時の自分自身の姿を思い重ねている。秋のわびしい情景と、そこにうち重なる一茶の静かな感情の流出が心に響く。(秋・二句切れ)
※秋の雨… 秋雨。秋に降る雨。
※故郷はなるる… 故郷を離れていくことだよ、と詠嘆が込められている。
※体言止め。
※故郷はなるる… 擬人法。一茶自身の過去の経験と重ね合わせ、馬を擬人化し、やむなく故郷を去り離れてゆく、と馬の子を思いやる気持ちが込められている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※一茶は3歳で母と死に別れ、14歳の時には江戸へ奉公に出されている。 一茶自身の類似句に「夕時雨馬も古郷へ向いて嘶(な)く」「秋雨や乳離れ馬の関越ゆる」「牛の子が旅に立つなり秋の雨」などがある。
馬ぼくぼく我を絵にみる夏野かな(松尾芭蕉)
・うまぼくぼく われをえにみる なつのかな
①夏の強い陽射しを浴びながら、ぼくぼくとだるそうな音を立てて馬は歩む。その馬にまたがり、背に揺(ゆ)られながら広い夏野を行く私の姿は、ちょうど絵の中に描かれた姿のようであろうよ。
・自分を離れてみれば、自分の姿は夏野の風景としてさぞかし絵になっていることだろうという心境を詠っている。自分自身を客観的に表現しているため、暑苦しさの中にありながら余裕のようなものを感じさせる句である。(夏・句切れなし)
②夏の強い陽射しを浴びながら、ぼくぼくとだるそうな音を立てて、駄馬は広い夏野に歩みを進める。危なっかしい乗り方で馬の背に揺られている私自身の姿を写したその絵を見て思う。人生に一体何を求めて流浪(るろう)を続けるのか知らないが、落馬して怪我などするなよ、と。
・芭蕉の姿を描いた絵を見ながら自身の生き様を一歩離れて見つめ直し、自嘲気味にその感慨を味わっている。(夏・句切れなし)
※ぼくぼく… 馬がゆっくりと歩を進める様子。のんびりとした様子や夏の暑苦しさが語感にある。
※夏野(なつの)… 夏草の茂る野原。夏野原。夏の季語。
※夏野かな… 夏野であることだよ、と詠嘆を表している。
※字余り(18音)
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ぼくぼく… 擬音語。
※前書きには次のようにある。「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。このぬしの言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻、落ちてあやまちすることなかれ」
(この絵に描かれた)笠をかぶり馬に乗った坊主は一体どこからやって来て、何を貪欲に求め、歩いているのだろう。すると、この絵を描いた本人が、これは私の旅姿を描き写したものだと言う。なるほどそれならば、三界(欲界・色界・無色界)を妄執のままに流浪するこの危なげな馬乗り姿の私よ、落馬して怪我などせぬよう心せよ。)
※桃尻(ももじり)… (桃の実のように、すわりの悪い尻の意から)馬に乗るのが下手で、尻が落ち着かないこと。
※芭蕉(ばしょう)、天和三年(1683年)夏、甲斐(山梨)に滞在の折(おり)の吟。前年、江戸の大火で芭蕉庵が類焼し、庵が再建されるまで甲斐で過ごしていた。
馬をさへ眺むる雪の朝かな(松尾芭蕉)
・うまをさえ ながむるゆきの あしたかな
・一夜明けて外を見やれば、昨日と打って変わって白一色の雪景色である。雪の中を行く旅人の姿がたいそう趣(おもむ)き深く感じられるが、ふだん見なれていて何の面白みも感じない馬でさえも、この雪の中を歩む姿は格別の風情をもってつくづくと眺(なが)められることだ。
・雪に覆われた冬の朝の、昨日とは一変した往来の風情に打ち興じている芭蕉の姿が思い浮かぶ。(冬・句切れなし)
※馬をさへ眺むる… 日常は風情など感じられない馬をさえ私は眺めてしまう。
※雪… 冬の季語。
※朝(あした)… 朝のこと。
※雪の朝かな… 雪景色の朝であることだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※前書きに、「旅人を見る」とある。
※貞享元年(1684年)、冬の作。名古屋熱田での吟。「野ざらし紀行」所収。
※「野ざらし紀行」… 俳諧紀行。貞享(じょうきょう)元年(1684年)秋、前年に死去した母の墓参を目的に、門人苗村千里(なえむらちり)を伴い江戸から伊賀に帰郷、その後吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年四月江戸に戻るまでの道中記。蕉風樹立への意欲が見られる。「野ざらし」は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。貞享(じょうきょう)二年(1685年)成立。
海暮れて鴨の声ほのかに白し(松尾芭蕉)
・うみくれて かものこえ ほのかにしろし
・日が暮れて暗くなった冬の海辺にいると、沖合いからほのかに鴨(かも)の鳴く声が聞こえてくる。夕闇のため姿は見えないが、じっとその声に聞き入っていると、この寒々とした海辺に響く鴨の鳴き声までがほの白く感じられることだ。
・聴覚による鴨の声を「白し」と視覚的・象徴的に表現し、また、五五七という甚(はなは)だしい破調がしっとりとした落ち着きを感じさせ、しみじみとした味わいや印象をいっそう深めている。(冬・句切れなし)
※鴨(かも)… 冬の季語。冬期、日本にはマガモ・カルガモ・コガモ・クロガモ・オシドリなど約30種が寒地から飛来する。雁(かり・がん)が秋の訪れと結びつけられるのに対して、鴨は多く冬のものとされる。
※ほのかに白し… ほのかに白く感じられることだよ、と詠嘆を表している。
※五五七の破調。
※鴨の声ほのかに白し… 「鴨の声がほんのりと白く見えるようだ」という意味で、比喩(隠喩)。
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※現名古屋市の熱田(あつた)の海岸へ人々と海を見に行った際の吟。「野ざらし紀行」では前書きに「海辺に日暮して」とあるが、各務支考(かがみしこう)作「笈日記(おいにっき)」や穂積東藤(ほづみとうとう)の「熱田皺筥(しわばこ)物語」などによれば、これは闇に舟を浮かべて「海上で詠んだ句」としている。
※ほのかに白し… 「水面に白く冬のもやが立ち、そのせいで鴨の声までがほのかに白く聞こえるように感じる」といった解釈もある。
※貞享元年(1684年)、冬の作。「野ざらし紀行」所収。
※「野ざらし紀行」… 俳諧紀行。貞享(じょうきょう)元年(1684年)秋、前年に死去した母の墓参を目的に、門人苗村千里(なえむらちり)を伴い江戸から伊賀に帰郷、その後吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年四月江戸に戻るまでの道中記。蕉風樹立への意欲が見られる。「野ざらし」は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。貞享(じょうきょう)二年(1685年)成立。
海に出て木枯らし帰るところなし(山口誓子)
・うみにでて こがらしかえる ところなし
・野を吹き、木々の葉を落とし、地上を吹き荒れた木枯らしは、やがて海へと吹き進んで行き場を失い、二度と戻(もど)ることも出来ず、消え去るのみである。
・神風特攻隊の末路を思い詠(うた)ったものと言われている。木枯らしを擬人化し、その末路に人間の運命の哀(あわ)れさ、孤独、空(むな)しさ、さびしさを投影している。 (冬・句切れなし)
※木枯らし… 秋の終わりごろから冬にかけて強く吹く冷たい風。冬の季語。テストで頻出。
※帰るところなし… 強く言い切ることで、「帰るところが無いのだ」という強い詠嘆を表している。
※帰るところなし… 擬人法。自らの意志ではどうにもならない運命の哀れさを深く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※昭和十九年(1944年)、冬の吟。
※誓子の自句解説には「昭和17年に『虎落笛(もがりぶえ)叫びて海に出で去れり』という句を作ったことがある。もがりぶえは、冬になって、笛を吹く強い風だ。その強笛がひゅうひゅう言って、海に出て、去って行ったのだ。この句があって、これを下敷きにして『帰るところなし』の句が出来たのだ。俳句は積み重ねである。」と記している。
梅一輪一輪ほどの暖かさ(服部嵐雪)
・うめいちりん いちりんほどの あたたかさ
①寒梅(かんばい)のつぼみが一つひらいた。まだ冬の寒い最中(さなか)ではあるが、可憐(かれん)なその一輪を見つめていると、また一つ近づいてくる春の気配を感じずにはいられない。
・自然の移ろいを繊細な感覚で捉え、その喜びを詠っている。(冬・初句切れ)
②早春、庭の梅がぽつぽつと咲き始めた。梅の花が一輪咲けば、そのわずかな分だけ、春の小さな訪れを感じることだ。
・自然の移ろいを繊細な感覚で捉え、その喜びを詠っている。(春・初句切れ)
※梅… 「梅の花」の意であれば春の季語。テストで頻出。ちなみに「梅の実」は夏の季語。
※梅… この句、服部嵐雪(はっとりらんせつ)一周忌の追善集「遠のく」には「寒梅」の題がある。「寒梅」を指すのであれば冬の季語であるが、一般に中学受験の教材には特に「寒梅」である点、断りは付されないので、「梅」を春の季語としてとる場合が多い。
※体言止め。
※字余り(18音:『ん』は一音で数える)
梅が香にのっと日の出る山路かな(松尾芭蕉)
・うめがかに のっとひのでる やまじかな
・早朝、山路(やまじ)を歩いていると、薄明かりの中にほのかに漂(ただよ)ってくるのは梅の花の香りだ。暫(しばら)く歩みを止めて楽しんでいると、まるでその香りに誘われるように、朝日がのっと現われた。早春の山路に暖かみを感じさせる淡(あわ)い日の光に匂う梅の香りは、また趣ひとしおである。
・「のっと」という擬態語からは、「ぬっと(突然現れるさま)」とは違い、「大きなものが突然現れる」という、重みを含んだニュアンスがある。梅の香に誘われるようにして朝日がふいに出現し、春らしい暖かみのある光に包まれる情景が思い浮かぶ。(春・句切れなし)
※梅が香(うめがか)… 梅の花の香り。春の季語。
※梅が香に… 梅の花の香りにまるで誘われるようにして。
※山路(やまじ)… 山の中の道。
※山路かな… 山路であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※梅が香に… まるで梅の香に誘われるようにして、と朝日を擬人化し、親しみを込めた表現となっている。
※のっと… 擬態語。
※元禄七年(1694年)、春の作。
愁ひつつ岡に登れば花いばら(与謝蕪村)
・うれいつつ おかにのぼれば はないばら
①心に愁(うれ)いを抱きながら、足のおもむくまま、とある岡に登ると、そこに花いばらがひっそりと咲いていた。無心に、そして美しく。
・自分でも説明できない漠(ばく)としたうら悲しさと、それに対比されるいばらの花の純粋な美への詠嘆(えいたん)という近代的な情感を詠(うた)った、当時としては珍しい句である。(夏・句切れなし)
②心に愁(うれ)いを抱きながら、足のおもむくまま、とある岡に登ると、そこに花いばらがが咲きにおい、いよいよ私の心はやるせないことだ。
・青春の哀愁(あいしゅう)をみずみずしく詠(よ)んだ句である。(夏・句切れなし)
※愁ひ(うれい)… 心配・不安・悩み事など。
※花いばら… 花の咲いた野ばら、ノイバラ。夏の季語。花いばらであることだよ、と詠嘆を表している。
※薔薇(ばら)… 「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したもの。古くは万葉集にも詠われ、漢語では「薔薇」の字を当てる。日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産である。
※体言止め。
※水原秋桜子は、「この句、まことに線が細く、現代の若い作者が詠んだ句としても不思議ではない」と述べている。
遠足のおくれ走りてつながりし(高浜虚子)
・えんそくの おくれはしりて つながりし
・遠足の子どもたちの列を眺(なが)めている。子どもたちの列は、おしゃべりをしたり、はしゃいだりしているうちに、つい二つ、三つの固まりとなって途切れてしまったが、遅れを取り戻そうと慌(あわ)てて走り出したかと思うと、すぐに列はもとの一つになってつながったことだ。
・楽しそうでほのぼのとした子どもたちの様子をほほえましく眺めている作者の様子が目に浮かぶ。(春・句切れなし)
※遠足… 春の季語。
※おくれ走りて… 遅れていた者たちが走って追いついて。
※つながりし… (列が)一つになってつながったことだよ、と詠嘆を表している。
負うた子に髪なぶらるる暑さかな(斯波園女)
・おうたこに かみなぶらるる あつさかな
・自分が背負った幼子(おさなご)が、私の髪の毛を無心にいじる。ただでさえ蒸し暑い真夏に子どもを背負って大変であるのに、そのうえ後ろから髪をいじられては、いよいよ暑苦しく、たまらないことだ。
・いかにも女性らしい生活実感を伴った句である。(夏・句切れなし)
※負うた子… 自分が背負った子。
※なぶらるる… いじって遊ばれる。
※暑さ… 「暑し」とともに夏の季語。ちなみに「涼し」「涼風(すずかぜ)」なども夏の季語である。
※暑さかな… 暑さであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
大空に羽子の白妙とどまれり(高浜虚子)
・おおぞらに はねのしろたえ とどまれり
・羽子板で突き上げられた羽子(はね)が、新春の大空高くに止まって、鮮やかな白をくっきりと浮かび上がらせている。
・どこまでも青く広い大空に、真っ白な羽子が高く上りつめたその一瞬をとらえている。羽子が空中で静止した時の一瞬の充足が、青と白との鮮やかな対照とともに印象的に詠われている。(新年・句切れなし)
※羽子(はね)… 羽子板でつく羽根。新年の季語。
※白妙(しろたえ)… ①白いこと。白い色。 ②コウゾ類の皮の繊維で織った白い布。また、それで作った衣服。祭祀・儀礼の時の物忌みの服だが、のちに衣服一般を指すようになった。
※とどまれり… 空中高くで一瞬静止したことだよ、と詠嘆を表している。
※昭和十年頃の吟。
大空にまたわき出でし小鳥かな(高浜虚子)
・おおぞらに またわきいでし ことりかな
・群れをなしたたくさんの小鳥たちが、旋回(せんかい)したり、急降下したりして、天高く澄(す)んだ大空を縦横(じゅうおう)に飛び回っている。ふと視界から消えたかと思うと、また再び湧(わ)き出すかのように現われては、思いのままに飛び回っている。
・大きな空とそれに対比される小さな鳥たちの群れであるが、思いのまま、自由に、そして力強く群れ飛んでいる生命感溢れる小鳥たちの躍動感が生き生きと印象的に描かれている。(秋・句切れなし)
※わき出(い)でし… わき出た。
※小鳥… 雀などの小型の鳥。秋の季語。
※小鳥かな… 小鳥たちであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
大ぼたるゆらりゆらりと通りけり(小林一茶)
・おおぼたる ゆらりゆらりと とおりけり
・暗闇の中からふいに現われた蛍(ほたる)は、大きく美しい、それでいて儚(はかな)い光を明滅(めいめつ)させながら、悠々(ゆうゆう)と飛んで、そして消えていったことだ。
・無造作な詠みぶりのようであるが、大蛍の鷹揚(おうよう)な様子と、一方でその命の儚(はかな)さとが同時に心にしみて感じられる叙情的な趣のある句である。(夏・句切れなし)
※大ぼたる… 大きなホタル。「ほたる」は夏の季語。
※通りけり… 通っていったことだよ、通り過ぎていったことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ゆらりゆらりと… 擬態語、および反復法。大きな光を放ちながら蛍がゆっくり、悠々と飛び去ってゆく様子を印象づけている。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
落ち葉焚くけむりまとひて人きたる(水原秋桜子)
・おちばたく けむりまといて ひときたる
①冬のある日、地面に散り敷(し)いた庭の落ち葉をかき集めて燃やしていると、庭中に濛々(もうもう)と広がる煙の向こうから、まるでその煙を身にまとうかのようにして、ふいに来訪者の姿が現われたことだ。
・来訪者が煙の向こうから出現する様子をユーモラスに詠っている。冬の寒気やもの寂しさと対照される、どこかほのぼのとした温もりを感じさせる句である。(冬・句切れなし)
②冬のある日、私を訪ねて来てくれた友人がある。言葉を交わしているその間にも、まるで今庭先で落ち葉を焚く煙を身にまとってやって来たのではと思わせるように、友人は、ほんのりと煙の香を漂わせている。
・季節感とともに作者の生活感がにじみ出た句である。冬のもの寂しさと対照される、どこかほのぼのとした温もりをも感じさせる。(冬・句切れなし)
※落ち葉焚く… かき集めた落ち葉を燃やす。「落ち葉焚き」と同様、冬の季語。
※落ち葉… 散り落ちた木の葉。冬の季語。季節を秋と間違えやすいので、テストで頻出。ちなみに、「枯れ葉」も冬の季語であり、やはり秋の季語と間違えやすいので注意。
※まとひて(まといて)… まとって。「纏(まと)う」は、巻きつく、絡みつく、まといつく、の意。また、「ドレスをまとう」のように、「身につける」の意でも使われる。
※人きたる… 人がやって来たことだよ、と詠嘆を表している。
斧入れて香に驚くや冬木立(与謝蕪村)
・おのいれて かにおどろくや ふゆこだち
・葉をすっかり落としきって、枯れ木のようになった冬木立の中の一本の木に、勢いよく斧(おの)を打ち込んだところ、思いがけなく切り口から生々しい木の香りが漂った。木の秘めた生命力に驚かされたことだ。
・思いがけなく生き物の命に触れた時の驚きをとらえた感覚の鋭い句である。(冬・ニ句切れ)
※香(か)… 香り。良いにおい。
※おどろくや… 驚いたことだなあ、と詠嘆を表している。
※冬木立(ふゆこだち)… 冬枯れの木立。冬の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな(松尾芭蕉)
・おもしろうて やがてかなしき うぶねかな
・初めて鵜飼(うかい)なるものを見たが、多くの舟を出し、かがり火を焚(た)いて、河水にはその赤い炎が美しく映り、にぎやかに漁が行われるので、初めはもの珍しくもあって面白く見物していたのであるが、それも終わって舟も見物人も去った後には、今までが華(はな)やかであっただけに、いっそう寂(さび)しくもの悲しいたたずまいとなり、私の心にも言いしれぬわびしさが襲ってきたことだ。思い返すに、飲み込んだ魚を鵜(う)に吐(は)かせるというのも、何か罪深くあさましい所業に思われてくるものだ。
・華やかな鵜飼が終わった後の静寂の中、ふいに襲ってきた侘(わ)びしさと鵜の哀れを詠っている。(夏・句切れなし)
※鵜舟(うぶね)… 飼い馴(な)らした鳥の鵜(う)を使い、鮎(あゆ)などをとらせる漁をするために乗る小舟。特に岐阜県長良川(ながらがわ)の鵜飼(うかい)が有名。鵜舟の舳先(へさき)に焚(た)いたかがり火が水に映った様子が幻想的(げんそうてき)で美しい。夏の季語。
※鵜舟かな… 鵜舟であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り(18音)。
※貞享五年(1688年)、夏、現岐阜県の長良川(ながらがわ)で鵜飼(うかい)を見た折の句。
※長良川の鵜飼… 毎年五月から十月にかけて行われる。1300年ほど前から古典漁法として行われてきたが、現在は観光行事としてのものである。鵜飼に使用する鵜は川鵜よりも体が大きく丈夫な海鵜である。
※ 鵜飼(うかい)漁では、鵜匠(うしょう)が鵜の首を締(し)めて魚を吐(は)き出させているわけではなく、また、鵜の首に付けられた紐(ひも)を鵜匠が引いても鵜の首を締(し)めて苦しませることがないような工夫がされているとのこと。
折りとりてはらりとおもき芒かな(飯田蛇笏) 60句目
・おりとりて はらりとおもき すすきかな
・風に吹かれるままなびくのを見たりするといかにも身軽そうなすすきだが、一本折(お)りとって手にすると、はらりとなだれるように穂(ほ)が垂れ、思いがけずその重みに驚かされたことだ。
・見た目には感じない生命の重みに感動している。(秋・句切れなし)
※折りとりて… 折りとって。
※芒(すすき)… イネ科。カヤ。秋の七草の一つ。秋の季語。テストで頻出。ちなみに「枯れすすき」「枯れ尾花」は冬の季語なので注意。
※芒かな… すすきであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※はらりと… 擬態語。
か行
街道をキチキチととぶばったかな(村上鬼城)
・かいどうを きちきちととぶ ばったかな
・秋の日差しを浴びながら人通りの少ない古い街道を歩いていると、突然そばの草むらから一匹のばったが飛び上がった。キチキチキチ… という音をのどかに響かせているよ。
・「キチキチ」という擬音語が効果的に用いられている。小さな体のばったが音を立てて力強く飛んでいく様子が、古びた街道の静けさや秋のすがすがしさをいっそう印象づけている。(秋・句切れなし)
※街道… 現在では交通量の多い幹線道路のことだが、ここでは人通りの少ない古い街道などを指す。
※ばった… 秋の季語。夏の季語と間違えやすいので注意。
※ばったかな… ばったであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※キチキチと… 擬音語。
※ショウリョウバッタ(精霊ばった)… 体長はオスが約5㎝、メスが約8㎝で、緑色または淡褐色。夏から秋に草原に多い。オスは飛ぶ時にキチキチと音を出すが、これは前後の翅(はね)を打ち合わせて発音することによる。コメツキバッタ、キチキチバッタ。
※ショウリョウバッタと同様に頭が前方に尖るバッタには「オンブバッタ」と「ショウリョウバッタモドキ」がいるが、生息環境や体の大きさなどが異なる。オンブバッタはショウリョウバッタより小型で、体長はオスが約2.5㎝、メスが約4㎝。成虫に翅はあるが飛行しない。オンブバッタの成虫では、メスの背中にオスが乗る姿がよく観察される。また、ショウリョウバッタモドキの体長はオス約3㎝、メス約5㎝。体が細長く、頭が尖っており、ショウリョウバッタに似ているが、ショウリョウバッタやオンブバッタのように首が上に反っておらず体型は直線的である。跳躍力は弱いが、飛翔力に優れる。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)
・かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ
・法隆寺を訪れ、その門前の茶店で休み、柿を食べて秋の古都の風情を楽しんでいたところ、折しも法隆寺の澄んだ鐘の音が、風情を添えるように静かにゴーン… と辺りに鳴り渡ったことだ。
・歴史ある法隆寺の静かな秋のたたずまい、柿を食べながら味わうすがすがしくのどかな古都の風情が、いっそう趣(おもむ)き深く感じられてくる。(秋・二句切れ)
※柿(かき)… 秋の季語。
※食へば… 食べていたら。「もし食べれば」という仮定の意味ではない。
※鳴るなり… 鳴ったことだよ、と詠嘆を表している。
※法隆寺(ほうりゅうじ)… 奈良県生駒郡斑鳩町にある世界最古の木造建築。別名は斑鳩寺(いかるがでら)。607年、用明天皇の命により聖徳太子が創建。1949年1月、1993年、ユネスコの世界遺産に登録された。
※体言止め。
※前書きに「法隆寺の茶店に憩(いこ)ひて」とある。
※明治28年(1895年)の作。「寒山落木(かんざんらくぼく)」所収。
※歴史学者の直木孝次郎の考証によれば、実際は子規(しき)が明治二十八年十月、奈良東大寺の近くにあった旅館「角定(かどさだ):のち対山楼(たいざんろう)」に投宿した際、夕食後に名物の御所柿(ごしょがき)を旅館の下女にむいてもらって食べている折に鳴った東大寺の鐘の音が深く印象に残り、後日、法隆寺を訪れてのち、両体験を結びつけてこの句が創作されたものだという。子規は写生句の主唱者ではあったが、ただ事実どおりの体験のみに固執していたわけではなかったのかもしれない。
尚、この句が発表される2か月ほど前に、子規の親友である夏目漱石が「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」という句を「海南新聞」に発表しているが、これについて坪内稔典(つぼうちとしのり)は、「子規の代表句は、漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵(ぐだぶつあん:漱石の松山での住まい)における二人の友情の結晶だった」と述べている。
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ(山口誓子)
・がくもんの さびしさにたえ すみをつぐ
・学問は、つきつめると自分一人の歩みである。寒さ厳しい冬の夜、ひしひしとそのさびしさを感じ、こらえつつ、私はだまって火ばちに炭をつぐ。
・学問のさびしさとは学問の道の厳しさそのものであり、その厳しさに堪(た)えてこそ、そこに学問の学問たる所以(ゆえん)がある。青年期における作者の学問の歩みを貫かんとする意気込みと学問の道の厳しさとがしみじみと詠われている。(冬・句切れなし)
※堪へ(たえ)… 堪えて。
※炭… 冬の季語。
※炭をつぐ… 火力を増すために炭を入れる。
※大正13年、誓子24歳、学生時代の作。
※「学問の句」について誓子は次のように述懐している。「法律の学問というものは厄介な学問である。味もそっけもなくさむざむとした学問である。とりわけ試験の前に片仮名で書いた法律の本を見ているときは、たまらないくらいさびしい気持になる。外へ遊びにも行けず、自分で自分を下宿の一間に閉じこめて、勉強していると夜が更けるにつれてあたりがしずまりかえって寒さがひしひしとせまってくる。もうそうなると法律の勉強などさびしくてしょうがないが、さりとて勉強をやめるわけにも行かず、ひとりさびしさを、じっとこらえて勉強をつづける。見ると火鉢の炭火はすっかり真白くなっているので、炭取を引き寄せて炭をつぐ」
風邪の子が留守あづかるといひくれし(中村汀女)
・かぜのこが るすあずかると いいくれし
・母親にどうしても出掛けなければならない用事があることを知って、風邪をひいて具合が良くないにもかかわらず、「留守番をしているから大丈夫だよ」と言って気をつかってくれる子どもがいじらしい。
・子どもと一緒にいてやることができない辛(つら)さや心配とともに、母親を気遣(きづか)う我が子を愛(いと)おしく思う母親の実感が伝わる。(冬・句切れなし)
※風邪(かぜ)… 冬の季語。
※いひくれし… 言ってくれたことだなあ。
※「紅白梅(こうはくばい)」(昭和45年)所収。
風吹けば来るや隣の鯉幟(高浜虚子)
・かぜふけば くるやとなりの こいのぼり
・見上げると、今日は風向きの加減で、隣の家の鯉のぼりが我が家の敷地の上にまでやってきて泳いでくれているよ。のびやかに、悠々(ゆうゆう)と。
・五月のさわやかな風に、自由に元気よく泳ぐ鯉のぼりを見つめる作者の気持ちもまた、心豊かでさわやかである。(夏・中七の中間切れ)
※来るや… 来るなあ、と詠嘆を表している。
※こいのぼり… 端午の節句(五月五日)に戸外に飾るコイの形をしたのぼり。コイは滝を登って竜になるという言い伝えから、男子の立身出世を祈って飾る。鯉の吹き流し、とも言う。夏の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春(宝井(榎下)其角)
・かねひとつ うれぬひはなし えどのはる
・梵鐘(ぼんしょう:寺のつりがね)のようなほとんど売れ口のないものでさえ、栄え賑(にぎ)わうこの江戸の町では、売れない日などないのだ。折(おり)しも、この江戸は春たけなわである。
・江戸っ子の其角が、繁華(はんか)を誇る江戸を充足の思いで詠っている。(春・二句切れ)
※鐘(かね)… 梵鐘(ぼんしょう:寺のつりがね)など。
※売れぬ日はなし… 「売れない日などないのだ」と強く言い切ることで、詠嘆や充足感が強く表出している。
※体言止め。
川底に蝌蚪の大国ありにけり(村上鬼城)
・かわぞこに かとのたいこく ありにけり
・春の小川をのぞいて見ると、澄(す)んだ川底におたまじゃくしがたくさん集まって泳いでいる。さながらこの狭(せま)い川底には、おたまじゃくしたちの大国(たいこく)が形成されているかのようだ。
・春の訪れとともに躍動する生き物の命を、作者が驚きと感動をもって見つめている姿が目に浮かぶ。(春・句切れなし)
※蝌蚪(かと)… おたまじゃくし。春の季語。ちなみに「蛙(かわず・かえる)」も春の季語。水辺や田園などで「春の訪れとともに冬眠から覚めた蛙が姿を現し、その鳴き声が聞かれ始める」という意味の「初蛙(はつかわず)」に由来し、春の季語となった。
※大国(たいこく)… おたまじゃくしが多数、比較的広範囲に集まって泳いでいる様子のたとえ。
※ありにけり… あることだよ、あるのだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※蝌蚪の大国… 擬人法。おたまじゃくしにより成された大国、という意味で擬人化し、おたまじゃくしたちの生命力の発散を強く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「鬼城句集」(大正6年)所収。
枯枝に烏のとまりけり秋の暮(松尾芭蕉)
・かれえだに からすのとまりけり あきのくれ
・日が山の端(は)に落ちようとしている暮れ方、ふと見ると、高々とした枯れ枝にからすが一羽止まっている。黄昏(たそがれ)の中の静けさ、もの寂(さび)しさをいっそう感じさせる秋の風情である。
・秋の夕暮れの寂しさを詠(うた)っているが、まるで水墨画を見るような印象を与える。(秋・二句切れ)
※枯枝(かれえだ)… 枯れた枝。冬の季語。ちなみに、「枯れ葉」や「落ち葉」なども冬の季語であり、秋の季語と間違えやすいので注意。
※烏(からす)… 鳥(とり)という字より一画少ないので注意。中学受験では、習っていない漢字でも正しく書き写せる注意力や対応力の正確さもまた学力の一つとして評価することが前提となった作問がされている点を念頭に置く必要がある。
※とまりけり… 止まっていることだよ、と詠嘆を表している。
※秋の暮(くれ)… 秋の夕暮れ時ととる説と晩秋ととる説がある。秋の季語。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「秋の暮」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※字余り。
※延宝(えんぽう)八年(1680年)、秋の作。
※なお、この句は「枯枝にからすのとまりたるや秋の暮」を後に改作したものであり、芭蕉自身の画賛(がさん:絵の余白に書き添える詩文)には、改める前のこの句とともに枯れ枝に複数のからす(七羽)が止まっている絵が描(えが)かれている。
潅仏の日に生れあふ鹿の子かな(松尾芭蕉)
・かんぶつのひに うまれあう かのこかな
・仏さまのお生まれになったこのめでたい日と同じ日に生まれ合ったその鹿(しか)の子は、なんと幸せなことでしょう。
・仏への崇敬の念とともに、鹿の子への愛情、そして、生きとし生けるものすべての生誕を祝祭する芭蕉の感情が伝わってくる。生の喜びが芭蕉の胸中に渦巻いていたことだろう。(夏・句切れなし)
※潅仏(かんぶつ)… 四月八日、お釈迦(しゃか)様のお生まれになった日。夏の季語。
※生まれあふ… ともに同じ日に生まれた。
※鹿の子(かのこ)… 鹿(しか)の子。夏の季語。
※鹿の子かな… 鹿の子であることだよ、という詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「鹿の子」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※七五五の破調。
※元禄元年(1688年)四月八日、奈良での吟。「笈の小文」所収。
旧暦四月八日の釈迦の誕生日に鹿が子を産むのを見た芭蕉が、釈迦の誕生日と同じ日に生まれ合わせた鹿の子の縁に心を動かされて詠んだもの。
※前書きには次のようにある。「灌仏の日は、奈良にて爰(ここ)かしこ詣(もうで)侍(はべ)るに、鹿の子(かのこ)を産(うむ)を見て、此(この日におゐておかしければ、『潅仏の日に生れあふ鹿の子かな』」(四月八日、灌仏の日に奈良の寺々を詣でていたところ、鹿が子を産むところを見て、お釈迦様と同じ日に生まれ合う鹿の子の結縁の深さに感じ入って、そこで詠んだのが『潅仏の日に生れあふ鹿の子かな』です。)
寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃(加藤楸邨)
・かんらいや びりりびりりと まよのはり
・何か重苦しい気分に沈んで過ごしていた冬の真夜中だった。突然、凄(すさ)まじい雷鳴がとどろき、窓のガラスをびりりびりりと震(ふる)わせている。
・作者の憂鬱(ゆううつ)な気分を吹き飛ばすほどの雷鳴のすさまじさである。動詞が一つも使われず、また、擬音語を用いることによって、実感を伴った鮮明な印象を与える。(冬・初句切れ)
※寒雷(かんらい)… 冬の雷。冬の季語。楸邨による造語。
※寒雷や… 寒雷であることだよ、と詠嘆を表している。
※真夜(まよ)… 真夜中。
※玻璃(はり)… ガラス。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※びりりびりりと… 大きな雷鳴によって窓のガラスが振動し音を立てている様子を表す擬音語。また、反復法によりその震動が長く続いている様子を表している。
※「寒雷(かんらい)」(昭和14年)所収。
※「寒雷」という言葉について楸邨は、これを自身による造語であり、「『冬の雷』というのでは言ひ切れない重苦しい自分の生活を詠みたいと思って、寒中の雷を寒雷と詠んでみた(北日本新聞・昭和28年)」と述べている。
※日本海側の地域で特徴的な現象に、「雪おこし」がある。冬型の気圧配置となり強い寒気を伴った季節風が吹くと、積乱雲が発達して雷が発生することがある。これを「雪おこし」などと呼んでいる。
黄菊白菊その外の名は無くもがな(服部嵐雪)
・きぎくしらぎく そのほかのなは なくもがな
・菊にはさまざまな色の花があるが、その中で菊らしい上品な美しさ、ゆかしさのあるのは黄菊(きぎく)と白菊(しらぎく)だけだ。そのほかの色の菊は、いっそ無いほうがよいのになあ。
・すがすがしく清らかな菊の風趣を愛する作者の感慨が詠(うた)われている。(秋・初句切れ)
※菊… 秋の季語。
※黄菊白菊… 黄菊と白菊のこの美しさであるよ、と詠嘆が込められている。
※その外の名は… そのほかの菊の名前は。「菊」の重複を避けている。
※なくもがな… いっそ無いほうがよいのになあ、と詠嘆を表している。
※もがな… 「~あったらなあ、~ほしいなあ」と、実現の困難なことがらについての願望を表し、詠嘆が込められている。切れ字の一つ。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り。
※七七五の破調。
※元禄元年(1688年)、山口素堂亭での菊見の宴で詠まれた。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
菊の香や奈良には古き仏たち(松尾芭蕉)
・きくのかや ならにはふるき ほとけたち
・秋九月、訪れた奈良を歩いていると、ちょうど花の季節を迎えた菊が、そのゆかしい香りを漂(ただよ)わせていた。この奥ゆかしい都の寺々には、古くから伝えられる仏様たちが、静かな微笑をたたえながら香(かぐわ)しい菊の香の中で鎮(しず)まっておられることだ。
・菊の香、奈良、古き仏という微妙に異なる印象を含む三つの言葉を取り合わせ、それらが醸(かも)し出す微妙な調和によって、懐かしさや味わいを深めさせている。(秋・初句切れ)
※菊の香(きくのか)… 菊の香り。秋の季語。
※菊の香や… 菊のよい香りがすることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※仏たち… 擬人法。「仏様たち」と仏像を人のようにたとえ、尊ぶ思いとともに親しみを込めて表している。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※元禄七年(1694年)九月九日、菊の節句(重陽の節句)、奈良の各寺参拝の折の吟。芭蕉逝去の約1ヶ月前、51歳の時の作。「笈(おい)日記」所収。
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々(水原秋桜子)
・きつつきや おちばをいそぐ まきのきぎ
・すがすがしい晩秋の高原の牧場に、啄木鳥(きつつき)がせわしなく幹をつつく音が響いている。牧場の木々は、まるで冬支度を急いでいるかのように、あわただしく葉を散らしてゆく。
・麓(ふもと)よりも一足早く訪れる高原牧場の晩秋風景を、聴覚と視覚でとらえ表現している。 「牧場」の静と「落ち葉」の動との対照、「キ音」の多用によるリズム感などから、過ぎゆく秋を惜しむ気持ちもが投影された、絵画的な印象の強い作品となっている。(秋・初句切れ)
※啄木鳥(きつつき)… 足と尾羽(おばね)を用いて木の幹に縦にとまり、するどいくちばしで木に穴をあけ、長い舌で虫を引き出して食べる。常に森林にすみ、木の幹に穴をあけて巣を作る。秋の季語。
※啄木鳥や… 啄木鳥の幹を叩く音が聞こえることだなあ、と詠嘆を表している。
※落ち葉… 冬の季語。「枯れ葉」とともに秋の季語であると思い込んでいる小学生が圧倒的に多く、テストで頻出。
※落ち葉散りゆくさびしい晩秋の高原に、まるで冬への移り変わりを急かすかのようにせわしなく響きわたっている啄木鳥の幹を叩く音、そこに作者のしみじみとした思いや、過ぎゆく秋を惜しむ気持ちが込められているので、主題となる季語は「啄木鳥」となる。「啄木鳥」に切れ字の「や」が用いられていることも手がかりとなる。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「啄木鳥」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※急ぐ… 「木々」を人間に見立てた擬人法により、まるで意志的に落ち葉を急いでいるかのような慌(あわ)ただしさを感じさせている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※群馬県赤城山での吟。 「葛飾(かつしか)」(昭和5年)所収。
君が手もまじるなるべし花薄(向井去来)
・きみがても まじるなるべし はなすすき
・一面の枯れすすきが風に静かになびいている秋の野で、見送ってくれた親しい友と別れた。互いに別れを惜しんでふりかえりつつ歩みを進めていると、やがて友人の振ってくれている手が、なびく枯れすすきの穂に混じり重なっていく。
・秋の広野(ひろの)に立ち、友との別れを名残惜しむ心情がしみじみと詠(うた)われている。(秋・二句切れ)
※君が手も… あなたの(振る)手も。
※まじるなるべし… 混じっているのであろう、混じっているに違いない、と詠嘆が込められている。
※花薄(はなすすき)…穂の出たすすき。尾花。秋の季語。ちなみに「枯れすすき」「枯れ尾花」などは冬の季語なので注意。
※体言止め。
※元禄三年(1690年)、一時帰郷していた長崎から京都へと戻ろうとする折、蓑田卯七(みのだうしち:江戸前期の俳人。去来の甥(おい)。蕉門。)と日見峠(ひみとうげ)で別れた時の句。
※日見峠(ひみとうげ)… 江戸時代の長崎街道における難所。西の箱根とまで言われた。
君火をたけよき物見せむ雪丸げ(松尾芭蕉)
・きみひをたけ よきものみせん ゆきまろげ
・やあ、よく訪ねて来てくれた。君、火を焚(た)いてお茶を沸かしてくれないか、もてなしにいいものを見せてあげよう。庭先で雪丸げをこしらえて見せてあげるよ。
・芭蕉が自身の門人である曽良(そら)に与えた句である。身の回りの世話をしてくれている曽良の来訪を喜ぶ芭蕉の、無垢(むく)で弾んだ気持ちが表出している。(冬・二句切れ)
※見せむ(みせん)… 見せてあげよう、見せてあげるよ、という意志を表している。
※雪丸げ… ゆきまろげ、ゆきまるげ。雪をころがして大きくまるめたもの。冬の季語。
※字余り。
※体言止め。
※貞享三年(1686年)、冬の吟。
※前書きに、「曽良何某(なにがし)、此(この)あたりちかくかりに居(きょ)をしめて、朝な夕なに訪(と)ひつ訪わる。我くひ物いとなむ時は、柴を折(おり)くぶるたすけとなり、茶を煮る夜はきたりて、氷をたたく。性(さが)隠閑(いんかん)をこのむ人にて、交り金(こがね)をたつ。ある夜雪にとはれて。『君火をたけよき物見せむ雪丸げ』」とある。
(曽良という者は、私の住む深川の庵の近くに仮住まいをしており、朝な夕なに訪ねて来てくれるし、互いに行き来を重ねている。私が炊事を営む時には柴を折って火にくべ煮炊きの手伝いをしてくれるし、お茶を点(た)てる夜にはやって来て寒さで氷ってしまったものをかき割ってもくれる。性分は無口な上に静かに暮らすことを好む人で、私とは深い友情で結ばれた断金の交わりそのものの間柄だ。ある夜、雪の日に私の庵を訪ねて来てくれた折に、一句詠んで差し上げた。『君火をたけよき物見せむ雪丸げ』)
行水の捨てどころなし虫の声(上島鬼貫)
・ぎょうずいの すてどころなし むしのこえ
・行水を済ませ、いざ水を捨てようとしが、折(おり)から虫の鳴き声があちらこちらで心地よく響(ひび)いている。虫の声が止(や)んでしまうのは惜(お)しいので、水の捨て場に困ってしまった。
・美しい虫の声をそのまま心地よく響かせていたいと願う気持ちや、小さな生き物への優しさが伝わってくる。(秋・二句切れ)
※行水(ぎょうずい)… 湯や水を入れたたらいに入って、体の汗を洗い流すこと。夏の季語。
※捨てどころなし… 力強く言い切ることで、作者が水の捨て場に困っている様子がよく伝わってくる。
※虫… 特にマツムシ、スズムシなど秋に鳴く虫の総称。秋の季語。昆虫全般を指す夏の季語と思い込んでいる小学生が圧倒的に多いため、テストで頻出。
※虫の声… 虫の声が心地よく響き渡っていることだよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「虫の声」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※この句は広く大衆に知られており、川柳にも、「鬼貫は夜中たらいを持ち歩き(夜になると多くの虫が鳴き騒ぐので、鬼貫は夜中になってもまだたらいを持ったまま庭の中をうろうろと歩き回るよ)」などと詠(よ)まれている。
桐一葉日当たりながら落ちにけり(高浜虚子)
・きりひとは ひあたりながら おちにけり
・明るい静けさの中、風も無いのに桐(きり)の大きな葉の一枚が、日の光を浴びながらひらひらと梢(こずえ)から離れ、地面に落ちた。その後には何一つ動くものも無く、ただ秋への移ろいをしみじみと感じさせたことだ。
・自然の一現象に焦点を当て写生したにとどまらず、その背後にある大自然の気息、衰微へと向かう自然の運行への深い詠嘆がこめられている。 「落ちにけり(落ちたことだ)」ときっぱりと言い切ることで、その詠嘆はいっそう印象的である。(秋・句切れなし)
※桐一葉(きりひとは)… 桐(きり)の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。中国の前漢時代の古典である「淮南子(えなんじ)」にある、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」に由来する。秋の季語。
※桐… 落葉広葉樹。高さ約10m。広卵形(こうらんけい)の葉は長い柄があり、団扇(うちわ)ほどの大きさがある。材は軽くて柔らかく、狂いが少ないので、家具、琴、下駄などに利用される。
※落ちにけり… 落ちたことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「落ちにけり」については、河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」を参照のこと。
※明治39年8月27日、句会「俳諧散心(はいかいさんしん)」における吟。
草臥れて宿借るころや藤の花(松尾芭蕉)
・くたびれて やどかるころや ふじのはな
①夕暮れ時、長い一日を歩き疲れて、なお重い足を引きずりながら今晩の宿をとろうと歩いていると、ふと目に映ったのは、花の盛りを迎えた美しい藤の花だった。
・旅に疲れた気分を癒(いや)してくれる美しい藤の花をぼんやり見つめながら、ほっとした気分に浸(ひた)っている。(春・二句切れ)
②夕暮れ時、長い一日を歩き疲れて、なお重い足を引きずりながら今晩の宿をとろうと歩いていると、ふと目に映ったのは、薄暗がりにぼうっと浮かびあがり、やはりけだるそうに垂れ下がっている藤の花だった。
・疲れきった気分と、藤の花のぼんやりと浮かび上がって見えている様子とが見事に調和している。(春・二句切れ)
※宿借るころや… そろそろ宿をとる時刻になったことだなあ、と詠嘆を表している。
※藤… マメ科のつる性植物。四~五月、花をふさ状に下げて咲く。つるは右巻き。
※藤の花… 春の季語。ただし晩春の景物。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※貞享五年(1688年)春、現奈良県丹波市(たんばいち)付近での吟。「笈の小文(おいのこぶみ)」所収。
雲の峰雷を封じて聳えけり(夏目漱石)
・くものみね らいをふうじて そびえけり
・真夏の、暑さ厳しく日差しも強烈なある日、紺青(こんじょう)の空に、日差しを照り返して峰を眩(まぶ)しいほどに白く輝かせた巨大な入道雲を見た。陽光が遮(さえぎ)られ陰となった谷底に、時折鋭い閃光(せんこう)が走るのは雷光である。圧倒的な重量感をもって、のしかかるように聳(そび)え立つ入道雲は、雷をさえ、その下に封(ふう)じてしまっている。
・鋭い稲妻をさえその下に封じ込めるようにそびえ立つ入道雲の圧倒的存在感と重量感である。(夏・句切れなし)
※雲の峰… 入道雲。夏の季語。
※雷(らい)… かみなり。夏の季語。
※封じて… 封じ込めて、閉じ込めて。
※聳(そび)える… ひときわ高く立つ。
※聳えけり… そびえていることだなあ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「雲の峰」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※封じて… 入道雲を擬人化し、その圧倒的な存在感、重量感を印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※明治36年(1903年)発表。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり(飯田蛇笏)
・くろがねの あきのふうりん なりにけり
・夏から軒(のき)につり忘れたままの風鈴が、折からの秋風に吹かれて、ちりりん… と幽かな音を立ててわびしげに鳴った。秋の空気に触れて鳴ったその清澄な響きは、やがて私の心にも静かに染み渡っていったことだ。
・「くろがね」という重く冷たい風鈴の質感から来る語感により、寂寥感や作者の詠嘆がいっそう印象深いものとなっている。また、季節の移ろいだけでなく、作者自身の人生の移ろいもが投影されているかのような荘重さも感じられる。(秋・句切れなし)
※くろがね… 鉄の古称。
※風鈴… 夏の季語。この句では「秋の風鈴」、または「秋」が季語となるので注意。
※鳴りにけり… 鳴ったことだよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「秋」、もしくは「秋の風鈴」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※昭和12年(1937年)、「霊芝(れいし)」所収。
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな(飯田龍太)
・くろねこのこの ぞろぞろと つきよかな
・月がさやかに照る秋のある晩、道を歩いていると、もの陰(かげ)からふいに、今年生まれたばかりの黒猫たちが親猫に連れられてぞろぞろと現われた。一瞬、はっと驚かされるとともに、この月明かりの夜を、私と同じようにきっとこの子たちも散歩をしながら楽しんでいるのだろうと思うと、今度は何となくほほえましくも思えてきたものだ。
・黒猫の子たちに対する温かい眼差し、偶然居合わせた黒猫の子たちとともに月夜の風情を楽しむ作者の悠然とした心持ちが伝わる。(秋・句切れなし)
※猫の子… 春に生まれた猫の子。春の季語。ただし晩春の景物。
※月夜… 月が明るく照っている夜。つくよ。秋の季語。
※月夜かな… 月夜だなあ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「月夜」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※七五五の破調。
※ぞろぞろと… 擬態語。複数の猫の子が続いて移動する様子。
※「山の木」(昭和50年)所収。
桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな(水原秋桜子)
・くわのはの てるにたえゆく きせいかな
・ふるさとの桑畑の桑の葉が夏の太陽の強烈(きょうれつ)な日差しをまぶしく照り返している。その照り返しに堪(た)えるようにして私は、はやる気持ちを抑(おさ)えつつ、家路(いえじ)を急ぐのだ。
・暮らし慣れた都会から懐かしい故郷の家へと久しぶりに帰ってゆく際のはやる気持ち、はずむ気持ちが、青年らしいみずみずしさ、さわやかさとともに印象的に伝わってくる。(夏・句切れなし)
※桑… クワ科の落葉高木。葉は養蚕に不可欠な飼料。材は家具用。「桑」は春の季語。
※照るに… 太陽の日差しが強く照り返している時に。
※堪へゆく… 我慢しながら行く。
※帰省(きせい)… 故郷に帰ること。帰郷(ききょう)。夏の季語。
※帰省かな… 帰省であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※東京生まれで東大(医学部)を卒業した秋桜子に帰省の経験は無いが、秋桜子自身は、「(自然の中での)青年の気持ちを強く出したいという思いが、『照るに堪へゆく』という表現になった」と述べている。
※「葛飾(かつしか)」(昭和5年)所収。
鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)
・けいとうの じゅうしごほんも ありぬべし
・庭先に目をやると、赤く燃え立つような鮮やかな色で鶏頭が花を咲かせている。はっきりと数はわからないが、きっと十四、五本ほどもあるに違いない。私自身は病の床に伏しているために、直接そこへ行って確かめることもできないが。
・赤く激しく燃え立ち、圧倒的な生命力を示す鶏頭が、作者自身の細り衰えてゆく「生」と対照され、免れえない子規の現実の運命を象徴しているかのようである。(秋・句切れなし)
※鶏頭(けいとう)… 鶏(にわとり)の鶏冠(とさか)に似た花軸(かじく)に紅や黄などの小花を開く草花。秋の季語。鶏頭を知らない小学生が相当に多い。
※ありぬべし… きっとあるに違いない、と詠嘆が込められている。
「ぬべし」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形と推量の助動詞「べし」との連語で、「きっと~に違いない」「~そうだ」の意で、完了した結果を推量し、また強調する。この句では、「花を咲かせた(完了)鶏頭がある(存在)に違いないぞ(強調)」の意となる。
※明治33年(1900年)、根岸の子規庵での句会での吟。
※この句をめぐって賛否両論が起こり、この論争は「鶏頭論争」と呼ばれている。
月光ほろほろ風鈴に戯れ(荻原井泉水)
・げっこうほろほろふうりんにたわむれ
・更(ふ)けゆく夜のしじまに、煌々(こうこう)と照る月はその光を地上にもやわらかに降り注ぎ、軒下(のきした)に下げた風鈴も、まるでその光と戯(たわむ)れるかのように、ひっそりと吹き来る涼(すず)やかな風とともにかすか音を響かせながら静かに揺(ゆ)れている。
・夜の静寂と清澄な空気の中に光と音との繊細な協和を描き、風流で幻想的な趣を与える句である。(自由律俳句)
※月光… 月の光。秋の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※ほろほろ… さやかに照る月が、その光をやわらかに降り注いでいる様子。また、その光を浴びながら、かすかな風を受けて短冊を揺らし風鈴が静かに音を響かせている様子。
「ほろほろ(と)」には、①花びらや木の葉のような軽くて小さなものが落ちる様子、②笛の音やヤマバトなどの鳴き声を形容したもの、の意がある。
※ほろほろ… 擬態語。また、風鈴がかすかな音を響かせている様子も重ね合わせ、暗に擬音語としても表している。
※風鈴… 夏の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※戯(たわむ)れ… 遊び興じて。実際に風鈴を鳴らすのは風であるが、月の光と風鈴とがまるで遊び戯れているかのように協和する風情を生き生きと印象的に描いている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※自由律俳句。
校塔に鳩多き日や卒業す(中村草田男)
・こうとうに はとおおきひや そつぎょうす
・学校生活の数々の思い出を胸に卒業を果たし、胸いっぱいに希望を抱いて校舎を出、ふとふり仰(あお)ぐと、高くそびえる校塔には、自分の新たな門出を祝福するかのように、多くの鳩(はと)たちが群れ、飛び交っていた。
・身内の相次ぐ不幸、自らの病気による休学などのため八年かかって大学卒業を果たした作者の万感の思い、また、輝かしく晴れ晴れとした喜びを強くにじませた作品である。(春・二句切れ)
※校塔… 草田男による造語。時計塔など高くそびえる学校施設をイメージするもの。
※鳩多き日や… 鳩がたくさんいる日であることだよ、と詠嘆を表している。
※卒業… 春の季語。
※卒業す… 卒業をした。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※昭和8年(1933年)、草田男は東京帝国大学を32歳で卒業、その折の吟。
金亀子擲(なげう)つ闇の深さかな(高浜虚子)
・こがねむし なげうつやみの ふかさかな
・夏の夜、光に誘われて家の中に飛び込んできた一匹のこがね虫を、縁側(えんがわ)から外に向けて放り投げたら、こがね虫は一瞬にして深い闇の中へと吸い込まれ消えてしまった。こんなに深々とした恐ろしい闇が、自分のすぐ身近にあったのだなあ。
・すべてのものを一瞬にして飲み込み消滅させてしまう闇という得体の知れない世界が、実は常に人間に隣り合わせて瞭然と存在していることを知らしめられた作者の、静かな動揺と根源的な畏怖とが伝わってくる。(夏・句切れなし)
※金亀子(こがねむし)… コガネムシ。金亀虫。黄金虫。体長約2㎝。葉を食い荒らす害虫。夏の季語。
※擲(なげう)つ… 投げつける。
※闇の深さかな… 闇の深さであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※明治41年(1908年)夏、句会「日盛会」での吟。
木枯に岩吹きとがる杉間かな(松尾芭蕉)
・こがらしに いわふきとがる すぎまかな
・冬の山深く、杉の木立(こだち)の間には、険しい大岩が起伏(きふく)して見えている。吹きすさぶ木枯らしは、その杉の木々の間に吹き入って絶えず岩壁を寒風に晒(さら)し、その岩肌(いわはだ)をさえいっそう険しく鋭(するど)く尖(とが)らせるように感じられることだ。
・吹きすさぶ木枯らしの厳しい寒さを叙景の中に詠っている。(冬・句切れなし)
※木枯(こがらし)… 秋の終わりごろから冬にかけて強く吹く冷たい風。凩とも書く。冬の季語。テストで頻出。
※岩吹きとがる… 岩肌を鋭く尖(とが)らせるかのように吹きすさぶ寒風の厳しさをたとえている。
※杉間(すぎま)… 杉の木立の間。
※杉間かな… 杉間であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「笈(おい)日記」所収。元禄四年(1691年)十月、三河の蓬莱寺山(愛知県新城市)、仁王門前での吟。 蓬莱寺(鳳来寺)のある蓬莱寺山(愛知県新城市)は標高684m、全山岩山で杉の原生林に覆われており、山頂付近は鋭く切り立った岩壁が露出している。
木枯の果はありけり海の音(池西言水)
・こがらしの はてはありけり うみのおと
・山を吹き下ろし、野を、里を吹きすさんだ木枯らしは海へと出て、今はもう何も吹き枯らすものも無く、ただ水面を荒立て、波音を沸かし、ごうごうとすさまじい音を立てているばかりである。さては、木枯らしは行き着いた果てでついに海の音となってしまったのだなあ。
・荒々しく地上を吹きまくり威勢を振った木枯らしが、ついには海に出てその存在を消滅させる。力強さと対照的な木枯らしの末路の哀れさ、はかなさである。(冬・二句切れ)
※木枯(こがらし)… 秋の終わりごろから冬にかけて強く吹く冷たい風。凩とも書く。冬の季語。この句では「比叡颪(おろ)し」を指すと言われている。「木枯らし」の季節を問う問題は頻出。
※果(はて)… 最後、結末、末路、なれの果て。
※ありけり… あるのだなあ、あったのだなあ、と詠嘆を表している。
※海… 真蹟(本人による筆跡)に「湖水眺望」とあるので、海とは琵琶湖を指す。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
凩や海に夕日を吹き落とす(夏目漱石)
・こがらしや うみにゆうひを ふきおとす
・冬のある日、木枯らしがいつになく吹きすさび、その厳しく冷たい風が、赤く穏やかに燃える夕日をさえ吹き飛ばし、瞬く間に海に突き落としてしまった。
・冬の日に吹きすさぶ木枯らしの凄まじさと瞬く間に沈んでゆく夕日のさまを、雄大な景色の中に詠っている。(冬・初句切れ)
※凩(こがらし)… 秋の終わりごろから冬にかけて強く吹く冷たい風。木枯らし。冬の季語。テストで頻出。
※凩や… 凩であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※吹き落とす… 擬人法。凩を擬人化し、秋の夕日の暮れる早いさまを印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※明治29年(1896年)11月中旬、五高(現熊本大学)の生徒達を引率し天草・島原地方に修学旅行へ赴いた際の吟。富岡付近から眺めた天草灘から東シナ海の落日を詠(うた)ったものではないかと推定されている。
※キリシタンへの迫害、苛政(かせい)による農民の苦しみなど、天草・島原での厳しい歴史を踏まえ詠われているとする説もある。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ(加藤楸邨)
・このはふりやまず いそぐないそぐなよ
・木の葉が、ふりやまずにただ落ちてゆくばかりである。そんなに速く、そんなに慌(あわ)てて散っていかないでおくれ。まるで命を削(けず)るようにして、散り落ちてゆく木の葉よ。
・無慈悲な冬の訪れに対し、切ない思いを抱きつつやさしく語りかけるように木の葉に嘆願しながら、急ぐな、慌てるなよと、人生そのものへの心のありようを自身に言い聞かせ、かみしめている。(冬・中七の中間切れ)
※木の葉… 地面に落ちてしまった葉、梢にわずかに残っている枯れ葉。冬の季語。
※木の葉ふりやまず… 「いそぐないそぐなよ」と呼びかけているとおり、木の葉を擬人化し、散り急ぐさまを切なく惜しむ思いで見つめているようすが表されている。
※いそぐないそぐなよ… 反復法とともに呼びかけ法が用いられ、散り急ぐ木の葉への切なく惜しむ思いを強く印象づけている。また、楸邨が自身の生き方を顧み、「焦ってはならぬ、急いではならぬ」と言い聞かせてもいる。
※中七の中間切れ。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※昭和23年秋の吟。
この道の富士になりゆく芒かな(河東碧梧桐)
・このみちの ふじになりゆく すすきかな
・芒(すすき)の穂の広く一面に戦(そよ)ぐこの野の道をそのまま行くと、次第次第に、あの雄大な富士の山となっている。
・自身の歩む一本の道、富士の裾野に一面に広がる芒野原、そして広大な空間を占める雄大な富士の圧倒的な姿。近・中景と遠景、そして全景を印象的に描き、作者の明るくさわやかな気分が伝わる作品である。(秋・句切れなし)
※この道の… この道が。
※芒(すすき)… イネ科。カヤ。秋の七草の一つ。秋の季語。テストで頻出。ちなみに「枯れすすき」「枯れ尾花」は冬の季語なので注意。
※芒かな… すすきであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「ホトトギス」九月号(明治34年)所収。同年7月に虚子たちと富士登山をした際に着想を得たものか。
この道や行く人なしに秋の暮れ(松尾芭蕉)
・このみちや ゆくひとなしに あきのくれ
・秋のこの夕暮れの道を行く人は誰もいない。後ろを振(ふ)り返っても、人影は見当たらない。そんな夕暮れの道を私一人行くさびしさは、ことさら身にしみて感じられたことだ。
・人通りの絶えた秋の夕暮れの道の寂しさとともに、芭蕉自身の辿って来た俳諧の道を正しく歩む者の無い孤独感が込められている。(秋・初句切れ)
※この道や… 私が歩む寂しいこの道だなあ、と詠嘆を表している。
※行く人なしに… 行く人のまったく無いところに。
※秋の暮れ… 秋の夕暮れ。「秋の暮れ」は一般に「秋の夕暮れ」を意味する場合が多いが、晩秋を意味する場合もあり、論争も起きた。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※元禄七年(1694年)九月二十六日、大坂(大阪)で開かれた句会での吟。芭蕉はこの三日後に体調を崩し、その約二週間後、十月十二日に当地で亡くなる。
※前書きに「所思(しょし:心に思うこと)」とあることから、自分がこれまでたどってきた俳諧の道を誰も正しく理解してくれない寂しさをこめて詠んでいるとも推察されている。
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉(村上鬼城)
・こはるびや いしをかみいる あかとんぼ
・初冬の暖かくおだやかなある日、ふと見ると、道端(みちばた)の石に季節はずれの赤蜻蛉(とんぼ)が一匹、じっと止まっている。石の上で背中に暖かな日差しを浴びて、このひとときにありがたみを感じているのだろうか。いや、それとも、ただ生きようと必死になって、ひたすらじっと堪(こら)えているのだろうか。秋から生き残った石の上の赤蜻蛉は、石を噛んでいるかのように、じっとしてひとつも動かない。
・静けさと明るさの中に描かれている、季節外れに生き残った赤蜻蛉のはかない命、哀れな姿である。(冬・初句切れ)
※小春日(こはるび)… 晩秋から初冬にかけて現れる、暖かく穏(おだ)やかな晴天。小春。小春日和(びより)。冬の季語。春の季語と思い込んでいる小学生が圧倒的に多いため、テストで頻出。
※小春日や… 小春日であることだよ、と詠嘆を表している。
※石を噛(か)み居(い)る… 赤とんぼが石の上にとどまりじっと堪えているかのような印象を与えている。ちなみに、赤とんぼが温まった石の上で心地よさそうにして、そこから離れたくないかのようにじっとしている様子、という解釈もある。
※赤蜻蛉(あかとんぼ)… 秋の季語。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「小春日」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※石を噛み居る… 擬人法。赤とんぼが石の上で堪(こら)えているかのようにしてじっとして動かないでいる様子をたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「鬼城句集」(大正6年)所収。
是がまあ終の栖か雪五尺(小林一茶)
・これがまあ ついのすみかか ゆきごしゃく
・十四歳にして家を出てのち、長いさすらいの果てに五十歳にして再び帰り住むことになったこの雪国の故郷の家だが、それにしても、五尺もの高さの深い雪に埋もれているこの家が、私が余生を送る最後の住み家となるのだと思うと、ああ、まったくため息が出ることだ。
・無造作な詠(よ)みぶりではあるが、長い江戸住まいを切り上げ雪深い故郷に永住しようという決意の裏に、諦(あきら)めや落胆、嘆息(たんそく)、自嘲(じちょう)が入り交じった複雑な思いが流露(りゅうろ)している。(冬・二句切れ)
※まあ… 詠嘆を表す語。ここでは一茶の落胆、嘆息、自嘲が入り交じった複雑な心情が込められている。
※終(つい)の栖(すみか)… 最後に住む所。死ぬまで住む所。
※終の栖か… 自分が死ぬまで住む所なのだなあ、と詠嘆が込められている。
※五尺… 一尺は約30㎝。
※体言止め。
※文化九年(1812年)十一月、故郷柏原での吟。
※一茶、遺産相続問題の一切解決の決心を抱き、11月24日に柏原に到着。しかしこの句を詠んだ時点で、長い江戸住まいを切り上げ、故郷柏原に永住しようと既に覚悟していたと推察されている。
金剛の露ひとつぶや石の上(川端茅舎)
・こんごうの つゆひとつぶや いしのうえ
・石の上に降りた一粒の露(つゆ)が、朝日を受けて美しく煌(きら)めいている。儚(はかな)いはずでありながら、硬い石の上にあって今、それはいっそう、何にもまして堅固(けんご)で確実なものとして存在している。
・金剛石(こんごうせき)のような気高い煌めきを放つ、堅固で凛然(りんぜん)とした一粒の露の姿の美しさである。(秋・二句切れ)
※金剛(こんごう)… 非常に堅固(けんご)で、壊れないこと。最も硬い物。金剛石(こんごうせき)はダイヤモンドのこと。
※露(つゆ)…大気中の水蒸気)が冷えて凝結(ぎょうけつ)し、地上の物に付着した水滴(すいてき)。秋の季語。
※金剛の露ひとつぶや… 美しく堅固な露が一粒あることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※「川端茅舎句集」(昭和8年)所収。
さ行
棹さして月のただ中(荻原井泉水)
・さおさしてつきのただなか
・静かに更(ふ)けゆく秋の月夜、おだやかな川の水面(みなも)にも月が美しく映っている。夜空にも、水面にも浮かぶ月のただ中を、私の乗った小舟は、ゆっくり、ゆっくりと進んでゆく。
・さやかに照る美しい月が夜空にも水面にも浮かんでいる静かで清澄な空間が印象的に描かれ、作者の落ち着いた心持ち、満足感が伝わってくる。(自由律俳句)
※月… 秋の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※掉(さお)さす… 棹で水底を突き、舟を進める。
※ただ中… 真ん中。
※自由律俳句。
※体言止め。
咲きみちて庭盛り上がる桜草(山口青邨)
・さきみちて にわもりあがる さくらそう
・春を迎え、庭の桜草がいっせいに美しく可憐(かれん)に花を開き、庭一面が盛り上がって見えるほどだ。実にはなやかですばらしい眺(なが)めであることだ。
・春もたけなわとなり、みずみずしい生命の輝きを放ちほとばしらせる桜草の様子に感動する作者の、すがすがしく明るい心持ち、満足感が伝わる。(春・二句切れ)
※庭盛り上がる… 桜草がいっせいに咲き満ちて、まるで庭全体が盛り上がるように見える。
※桜草… 高さ15~30㎝。春、花茎の先に紅紫色の花をつける。春の季語。
※体言止め。
※庭盛り上がる… 比喩(隠喩)。桜草がいっせいに咲き満ちて、まるで庭全体が盛り上がるように見える様子をたとえている。実際に庭が盛り上がっているわけではない。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
山茶花を雀のこぼす日和かな(正岡子規)
・さざんかを すずめのこぼす ひよりかな
・山茶花(さざんか)の枝に雀がやって来て、元気よくさえずりながら、枝を飛び移って遊んでいる。枝が揺れると、山茶花の花びらもほろりとこぼれ落ちていく。太陽も静かにそれを見守っているように思える、穏やかな冬の日和だ。
・元気な雀の様子と、それを見つめる作者の穏やかな心持ちとが伝わる。(冬・句切れなし)
※山茶花(さざんか)… ツバキ科の常緑小高木。葉・花ともツバキに似るが、やや小形。秋から冬に白・紅色・淡紅色の五弁花をつける。ツバキ(椿)とよく似ているが、サザンカの花が花びらが散るのに対し、ツバキの花は花ごと落ちる。また、椿が春の季語であるのに対し、山茶花は冬の季語となっている。
※日和(ひより)… 天気。空模様。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
匙なめて童楽しも夏氷(山口誓子)
・さじなめて わらべたのしも なつごおり
・夏の盛りのある午後、幼子(おさなご)がかき氷を楽しそうに食べている。ひと匙(さじ)口に運んでは匙(さじ)をなめ、またひと匙食べてはうれしそうにしている、あどけない幼子の様子がたいそうほほえましい。
・夏の盛りの暑さの中で、いかにもおいしそうに、匙までなめながら楽しそうに夏氷を食べている子どもの無邪気な笑顔とほほえましい様子を、さわやかな心持ち、あたたかな眼差しで作者は見守っている。(夏・二句切れ)
※童(わらべ)… 子ども。また、子どもたちの古い呼び方。
※楽しも… いかにも楽しそうにしていることだよと、詠嘆が込められている。
※夏氷… かき氷などの氷菓(ひょうか)。夏の季語。
※体言止め。
五月雨やある夜ひそかに松の月(大島蓼太)
・さみだれや あるよひそかに まつのつき
・鬱陶(うっとう)しく降り続く五月雨のために、月夜の風情も今しばらくは、と忘れかけていたところ、ある夜ふと外を見やると、思いがけなく松の陰(かげ)に美しい月がかかっていた。いつ姿を隠してしまうとも知れないその月を、しばらく眺(なが)めて楽しんだことだ。
・「ひそかに」と月を擬人化することで思いがけなく出現した月への親近感を込め、その詠嘆が情趣深く詠われている。(夏・初句切れ)
※五月雨(さみだれ)… 梅雨。本来は、陰暦五月に限って降る雨をさした。夏の季語。テストで頻出。
※五月雨や… 五月雨であることだよ、と詠嘆を表している。
※ひそかに… 他人に気づかれないようにするさま。
※月… 秋の季語。テストで頻出。
※松の月… 松の木枝の間に月が見えている様子。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「五月雨」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※ひそかに… 擬人法。ひそかにそっと月が姿を現す、という意味で月を擬人化し、月の思わぬ出現への驚きを、親しみを込めて印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
五月雨や大河を前に家二軒(与謝蕪村)
・さみだれや たいがをまえに いえにけん
・降り続く五月雨のために大河は水かさを増し、濁流(だくりゅう)となって、渦巻きながら激しい勢いで流れている。猛威(もうい)をふるうその大河のほとりには人家が二軒、心細げにぽつん、ぽつんと建っている。
・大河の猛威の前に、なすすべもなく息をつめてひそんでいる人間の姿が想像される。強大で動的なものと、弱小で静的なものとの対比が強調され、絵画的な印象をも与える句である。(夏・初句切れ)
※五月雨(さみだれ)… 梅雨。本来は、陰暦五月に限って降る雨をさした。夏の季語。テストで頻出。
※五月雨や… 五月雨であることだよ、と詠嘆を表している。
※大河(たいが)… 川幅の広い、水流の豊かな川。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※安永六年(1777年)夏、蕪村62歳の時の作。
五月雨を集めて早し最上川(松尾芭蕉)
・さみだれを あつめてはやし もがみがわ
・山野(さんや)に降り注いだ五月雨の雨水は急流最上川(もがみがわ)に注ぎ、川は水をみなぎらせ、音を立て、勢いよく矢のように速く流れている。その流れ下るさまは圧倒的(あっとうてき)で、まったく激しくすさまじいものだ。
・折からの五月雨で増水し、すさまじい水勢となった最上川の急流を舟で下った折の実感を詠んでいる。自然の力強さが印象的である。(夏・二句切れ)
※五月雨(さみだれ)… 梅雨。本来は、陰暦五月に限って降る雨をさした。夏の季語。テストで頻出。
※集めて早し… 五月雨が降り注いだ山野の水をみな集め、すさまじい水勢となっていることだよ、と詠嘆を表している。
※最上川… 富士川、球磨(くま)川と並び、日本三大急流のひとつ。
※体言止め。
※元禄二年(1689年)夏の吟。「おくのほそ道」所収。
※「最上川」の章段には次のようにある。
「最上川はみちのくより出でて、山形を水上(みなかみ)とす。ごてん・はやぶさなどといふおそろしき難所(なんじょ)あり。板敷山(いたじきやま)の北を流れて、果ては酒田の海に入る。左右山覆(おお)ひ、茂みの中に舟を下す。これに稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ。水みなぎって舟あやふし。『五月雨をあつめて早し最上川』」
(最上川はみちのくから流れ出て、山形辺りを上流としている。途中、碁点(ごてん)・隼(はやぶさ)といった恐ろしい難所がある。それから川は板敷山の北側を流れ、最後は酒田の海に注いでいる。川の両岸には山が覆いかぶさるように迫り、樹木の茂っているその中に船を下すのである。この船に稲を積んだのを「稲舟」というのであろう。白糸の滝は青葉の間々に流れ落ちるのが見え、その上流にある仙人堂は川岸に面して建っている。川水は満々とみなぎって早く、舟は今にもくつがえりそうで危険である。その折の句、「五月雨を集めて早し最上川」)
※みちのく… 「道の奥」の略。奥羽地方東部の総称。最上川の水源は厳密にはみちのくではないので、恐らく芭蕉は漠然とした印象をもってこの語を使っているのだと思われる。
※碁点(ごてん)・隼(はやぶさ)… ともに最上川三大難所の一つ。
算術の少年しのび泣けり夏(西東三鬼)
・さんじゅつのしょうねん しのびなけり なつ
・少年は算数が苦手である。自分なりに必死に取り組んではいるものの、なかなか解けず捗(はかど)らない。がんばろうにも、悔しいやら情けなくなるやらで、自然と涙が浮かんでくるばかりだ。悲しみを堪(こら)えながら過ごす、ある日の少年の夏である。
・少年が辛く悲しい思いをして机に向かい、じっと堪えている様子が目に浮かぶ。(夏・下五の中間切れ)
※算術… 算数の古い呼び名。
※しのび泣けり… 人に知られないよう、声を立てないようにして泣いていることであるよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※下五の中間切れ。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※「京大俳句」(昭和11年)所収。
残雪やごうごうと吹く松の風(村上鬼城)
・ざんせつや ごうごうとふく まつのかぜ
・季節は冬から春への変わり目、松に当たる風がごうごうとうなりを上げ、吹きすさんでいる。その背景にはいまだ残雪を頂いた山々が連なり、じっと、本格的な春の到来を待っているようだ。この強い風が、やがて本格的な春を運んできてくれるに違いない。
・冬の厳しさの名残を見せている峰々の残雪ではあるが、松に当たりうなりを上げる早春の風の様子が、一方で本格的な春の到来を予感させている。(春・初句切れ)
※残雪… 春になっても消えずに残っている雪。春の季語。冬の季語と間違えやすいためテストで頻出。
※残雪や… 残雪であることだよ、と詠嘆を表している。
※ごうごうと… 大きな物音が轟(とどろ)きわたるさま。
※松の風… 松の木々の間を吹き抜ける風。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※ごうごうと… 擬音語。大きな音が轟(とどろ)きわたるさまを表す。作者の村上鬼城(むらかみきじょう)は重度の聴覚障害者であったことから、実音をそのまま擬音語によって表したというより、風の強く吹く実景(視覚)や辺りの気配を身体全体で感じ取り、その実感をこのように表現したのかもしれない。
※「定本鬼城句集」(昭和15年)所収。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声(松尾芭蕉)
・しずかさや いわにしみいる せみのこえ
・夏の盛りのころ、日の暮れる前に山寺をたずねようと参道を登ってみると、ああ、ここは何と静かな世界なのだろう。格別清らかでひっそりとしたしじまの中で、私の心も澄(す)み通ってゆく心持ちである。折から響き渡る蝉(せみ)の声が、この静けさを通して、あたりの古びた岩々に吸い込まれていくようにさえ感じられる。
・蝉の鳴く声が岩にしみ入っていくと表現することで、山の静けさがいっそう深まる印象が強調され、芭蕉の心もまた澄みとおってゆくさまがしみじみと伝わってくる。(夏・初句切れ)
※閑かさ… 「静かさ」とは異なり、さびしくもの静かな情景を印象づけている。「閑かさや」は、「ああ、何と閑かなことだろう」という詠嘆を表している。
※岩にしみ入る… 古い山寺が静まりかえる中、蝉の鳴き声だけが高く響いて、それが辺りの岩のうちにしみ入るようだ、という様子。
※蝉の声… 夏の季語。テストで頻出。ちなみに同じ蝉で「ひぐらし」や「法師蝉(ほうしぜみ=つくつくぼうし)」は秋の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※岩にしみ入る… 比喩(隠喩)。岩にしみ入っているようだ、というたとえ。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※元禄二年(1689年)夏、立石寺(りゅうしゃくじ)での吟。「おくのほそ道」所収。
※立石寺(りっしゃくじ)… 古くは「りゅうしゃくじ」と読まれた。山形市山寺にある天台宗の寺。慈覚大師(円仁)の創建。境内は奇岩奇石をもって名高い。俗に山寺(やまでら)という。
※蝉(せみ)については「あぶら蝉説」と「にいにい蝉説」とがあり、「にいにい蝉説」が有力。「岩にしみ入る」と感じるためには「にいにい蝉」の鳴き声がふさわしいとされる。また、鳴いている蝉の数のイメージによって句の印象も変わる。
※「おくのほそ道」、「立石寺」の章段には次のようにある。
「山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、殊(こと)に清閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々のすすむるによって、尾花沢(おばなざわ)よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓(ふもと)の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌(いわお)を重ねて山とし、松柏(しょうはく)年ふり、土石(どせき)老いて苔(こけ)滑(なめら)かに、岩上の院々とびらを閉ぢて物の音聞こえず。岸をめぐり岩を這(は)ひて仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行くのみおぼゆ。その折の句、『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』」
(山形藩の領内に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開かれた寺で、格別清らかで静かな所である。一度行って見るのがよいと人々が勧めるので、尾花沢から引き返し、山寺まで七里ばかりの距離であった。到着した時にはまだ日は暮れておらず、麓の宿坊に宿を借り、山上の堂にのぼる。大小様々な岩が重なり合って山となっており、松や檜(ひのき)の類は多くの樹齢を得て、土や石もまた時代がついて苔が滑らかに覆い、岩上に建てられた寺院はどこも扉を閉ざし、物音一つ聞こえない。崖のふちを回り、岩の上を這うようにして仏堂に詣(もう)でたが、この山のすばらしい景観は、ひっそりと静まりかえり、ただただ心が澄みとおって行くばかりであるように思われた。その折の句、『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』)
※初案は「山寺や石にしみつく蝉の声」、そして改案は「さびしさや岩にしみこむせみの声」であり、推敲の結果、最終的に「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」となった。
下雲へ下雲へ夕焼け移り去る(中村草田男)
・したぐもへしたぐもへ ゆうやけうつりさる
・長い一日が終わろうとしている夏の夕暮れ、夕焼けが空を茜(あかね)色に染めている。刻々と彩りを変えつつも、雲に映える美しい茜色は、はるか地平線に吸い込まれてゆくように、上の雲から下の雲へと、ゆっくり、ゆっくりと薄れてゆく。
・刻々と表情を変化させる夕焼けの美しさに感動するとともに、それが次第に、そして確実に薄れてゆく様子に寂しさを感じている。絵画的な印象を与え、しみじみとした余情を深く感じさせる句である。(夏・句切れなし)
※下雲へ下雲へ… 日が沈むにつれて雲に映える赤い光が次第次第に下のほうへと移りゆく様子。
※夕焼け… 夏の季語。ちなみに「朝焼け」も夏の季語。
※字余り。
※下雲へ下雲へ… 反復法。ゆっくりゆっくりと、そして確実に変化していくさまが効果的に表されている。
※移り去る… 擬人法。確実に薄れてゆく夕焼けを惜しむ気持ちが強調される。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ(加藤楸邨)
・しずかなるちからみちゆきばったとぶ
・しずかなるちからみちゆきはたはたとぶ
・動かずにじっとしているばったを、息をひそめて見ていた。ばったは、じっとしている間に静かに力をため、みなぎらせていたのか、突然、ありったけの力を出して、からだを空中に跳(は)ね上げて飛んでいった。
・小さなからだに秘められた命の力の大きさに驚き、感動している。ばったの生き生きとした、力強い飛翔のありさまが鮮やかに目に浮かぶ。作者自身のみなぎる思い、みなぎる力が象徴されてもいる作品である。(秋・句切れなし)
※しづかなる力満ちゆき… じっと動かずにいるかと思うと突然はじけるように力強く飛び立つばったの様子を見て、いかにもそれまで飛翔に備えて力を静かにため込んでいたようであると感じられた、という意味。
※ばった… 秋の季語なので注意。尚、「螇蚸」は「ばった」「はたはた」「けいれき」などとも読まれる。
※ばったとぶ… 強く言い切ることで、ばったの力強い飛翔への詠嘆が伝わる。
※「螇蚸」を「ばった」ではなく、「はたはた」と読む場合には字余りとなる。
※国文学者で俳人の川崎展宏(かわさきてんこう)は、『山本健吉俳句読本 第2巻 俳句鑑賞歳時記』(平成5年)に寄稿した自身の解説文の中で、「螇蚸」の読みについて作者である加藤楸邨本人に直接尋ねたところ、「『はたはた』と読みたい」という回答を得たというエピソードを紹介している。
※昭和26年(1956年)初出。
※『山脈(やまなみ)』昭和30年(1955年)所収。
島々に灯をともしけり春の海(正岡子規)
・しまじまに ひをともしけり はるのうみ
・のどかな春の一日が静かに暮れようとしている。穏やかな海の沖合いには大小の島々が見えている。その影が次第に色を濃くしてゆき、それとともに島々には、ぽつり、ぽつりと小さな灯(あか)りがともってゆく。あの美しい灯りのもとで、人々の暮らしが営まれているのだなあ。
・穏やかな春の海に浮かび始めた生活のともしびが温もりを感じさせ、それがいっそう穏やかで美しい光景となって心に映る。(春・二句切れ)
※灯(ひ)… 灯(あか)り。
※ともしけり… ともしていることだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※「俳句稿」(明治30年)所収。
春園のホースむくむく水とおる(西東三鬼)
・しゅんえんの ホースむくむく みずとおる
・穏(おだ)やかな春の日差しが注ぐ中、草花に水をかけようと、長いホースの付いた水道の蛇口(じゃぐち)を捻(ひね)る。すると、その中を水が勢いよく走り、ホースはまるで息を吹き返した生き物のようにむくむくと動いたかと思うと、弾(はじ)けるように勢いよく水を噴(ふ)き出し、きらきらと春の日差しを照り返しながら草花に降り注いだ。
・生き物のような動きを見せるホースの様子や春園の明るくほのぼのとした情景から、作者の明るい気持ち、ユーモアの感覚が伝わってくる。(春・句切れなし)
※春園(しゅんえん)… 春の草花が植えてある栽培園、公園、植物園など。春の季語。
※むくむく… 擬態語。中を通る水の圧力でホースがふくらみ、勢いがついて、まるで生き物のような動きを見せている様子。
春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる(中村汀女)
・しゅんぎょうや みずほとばしり がすもゆる
・春の明け方、東の空が次第に白んでゆく。さわやかな朝の空気を胸一杯に吸い込んで、気持ちを引き締めて、いそいそと家事にかかる。蛇口をひねると、音を立てて水がほとばしる。コンロの栓をひねるとガスに火がつき、青い炎が立った。さあ、新しい一日の始まりだ。
・主婦としての生活感覚がよく表れており、春の明け方、さわやかな朝を迎えるとともに台所仕事にかかる作者の新鮮な活力や明るい気持ちが伝わってくる。(春・初句切れ)
※春暁(しゅんぎょう)… 春の夜明け。春の季語。
※春暁や… 春暁であることだよ、と詠嘆を表している。
※ほとばしり… 勢いよく出て。
※瓦斯(がす)… ガス。瓦斯はガスの当て字。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「汀女句集」(昭和19年)所収。
松籟や百日の夏来たりけり(中村草田男)
・しょうらいや ひゃくにちのなつ きたりけり
・松の梢(こずえ)を渡る風の音がする。雲を流しながら吹いている南からの風は熱気を帯び、草木を揺(ゆ)らし、青葉を戦(そよ)がせる。いよいよ、長い夏がやって来たのだなあ。
・春が過ぎ、自然はいよいよ輝きと生命力を発散し、その営みがますます活発になる季節である。力強く松に吹く風が告げる夏の到来を喜ぶ作者の、自由な気分や明るい気持ちが伝わってくる。(夏・二段切れ)
※松籟(しょうらい)… 松に吹く風。また、松に吹く風の音。
※松籟や… 松籟であることだよ、と詠嘆を表している。
※百日の… 多くの日数の。
※来たりけり… やって来たのだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
白露もこぼさぬ萩のうねりかな(松尾芭蕉)
・しらつゆも こぼさぬはぎの うねりかな
・美しく輝くいくつもの白露(しらつゆ)が、ゆるやかにうねった萩(はぎ)の細く長い枝の上に静かに乗っている。すぐにも零(こぼ)れ落ちてしまいそうな危うさの中にあっても、白露をしっかりと保ち乗せている、繊細(せんさい)で美しい萩の枝の姿であることだ。
・美しく清楚な印象を与える白露と萩との繊細にして絶妙なる均衡を描き、自然の統一感や、その調和の妙が見事に詠われている。(秋・句切れなし)
※白露(しらつゆ)… 白く光って見える露(つゆ)。秋の季語。
※萩(はぎ)… マメ科ハギ属の落葉低木。秋の七草の一つ。秋に紅紫色や白の花が咲く。古来日本人に親しまれ、万葉集では最もよく詠まれている。秋の季語。
※うねり… 緩やかに曲がりくねる。
※萩のうねりかな… 萩の枝のうねりの姿の見事さよ、と詠嘆を表している。
※こぼさぬ…擬人法。静止している植物の萩にみずみずしい生命感や繊細さを印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「萩」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※元禄六年(1693年)秋、芭蕉50歳の時の作。
白ねぎのひかりの棒をいま刻む(黒田杏子)
・しろねぎの ひかりのぼうを いまきざむ・台所で、洗いたての新鮮な葱(ねぎ)をあらためて見つめてみると、鮮やかに白く輝き、それはまるでひかりの棒(ぼう)のようである。自然の恵みに感謝しつつ、そのみずみずしい白葱を包丁で刻んでゆく音もまた、実に小気味(こきみ)よい。
・ねぎのみずみずしい白さに感嘆し、自然の恵みへの感謝の念を抱きつつ、新鮮な気持ちでねぎを刻んでゆく作者の生き生きした姿が思い浮かぶ。女性らしい繊細な感性と生活感情が表出している句である。(冬・句切れなし)
※ねぎ… 冬の季語。
※ひかりの棒(ぼう)… ネギの真っ直ぐで白く新鮮な様子をたとえているとともに、自然の恵みに対する感謝の気持ちを込めている。
※いま刻む… 自身の動作を現在形ではっきりと言い切ることで、作者の明るい気持ちや生き生きとした様子が伝わってくる。
※ひかりの棒… 比喩(隠喩)。ネギの真っ直ぐで白く新鮮な様子をたとえている。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
スケートのひも結ぶ間もはやりつつ(山口誓子)
・スケートの ひもむすぶまも はやりつつ
・初めてスケートをしてみることになって、楽しみで仕方がない。氷上では気持ちよさそうにすべっている上手な者もいれば、手を借りている者や転んでいる者もいるが、皆、とても楽しそうだ。私も早くあのリンクへ向かいたくて、はやる気持ちも抑(おさ)えきれず、スケート・シューズの紐(ひも)を結ぶのがたいへんもどかしい。
・自分もあのように氷上をスイスイと滑れたらさぞかしよい気分だろう、愉快だろうとわくわくしながらスケート靴のひもを結んでいる作者の期待と緊張、はずむ気持ちがよく共感される句である。(冬・句切れなし)
※スケート… 冬の季語。
※はやりつつ… 焦(あせ)りながら。
すず風の曲がりくねって来たりけり(小林一茶)
・すずかぜの まがりくねって きたりけり
・みすぼらしい裏長屋(うらながや)の入り組んだ細い路地をくねくねと通り抜けて、ようやく私の住んでいる所にまで吹き届(とど)いた涼風(すずかぜ)だが、何だか弱々しくて、さっぱり涼(すず)しくないじゃないか。
・誰にも等しく吹くはずの風でさえが自分の居場所にはなかなか届いてくれないという自分の境遇を悲壮感のこもった嘆きとして詠っているのではなく、むしろ皮肉と自嘲のこもった、一茶の苦笑いを思わせるようなユーモアの感じられる句である。(夏・句切れなし)
※すず風… 涼(すず)しい風。特に夏の終わりごろに吹く涼しい風。涼風(りょうふう)。夏の季語。
※来たりけり… やって来たことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※曲がりくねって来たりけり… 擬人法。届きにくい場所にまでようやくたどり着いたすず風の様子を、皮肉と自嘲を込めて表している。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「句稿消息」の前書きに、「裏長屋のつきあたりに住みて」とある。江戸の貧乏長屋に住んでいた頃を回想して詠んだもの。
※文化十二年(1815年)、一茶53歳の時の句。「七番日記」所収。
すず風や力いっぱいきりぎりす(小林一茶)
・すずかぜや ちからいっぱい きりぎりす
・夏ももうそろそろ終わろうという頃、ふいに涼(すず)しい風が吹き渡ってきた。そのすがすがしく心地よいことといったら、夏の暑さをひととき忘れさせてくれるほどだ。折(おり)からきりぎりすも、その涼風(すずかぜ)に応じるかのように、草の陰(かげ)で元気よく力いっぱい鳴いてみせ、秋の気配を知らせてくれている。
・夏の終わり頃、吹き渡ってくる涼しい風に心地よい気分を味わいながら、元気よく鳴くきりぎりすの声に聞き入って楽しんでいる一茶の姿が思い浮かぶ。また、健気に鳴く小さな生き物を温かく見守る一茶の優しさが伝わってくる句である。(夏・初句切れ)
※すず風… 涼(すず)しい風。特に夏の終わりごろに吹く涼しい風。涼風(りょうふう)。夏の季語。季節を判断しづらいため、テストで狙われやすいので注意。
※すず風や… すず風が吹いていることだよ、と詠嘆を表している。
※きりぎりす… 秋の季語。チョンギース、と鳴く。ただし、「きりぎりす」は現在のコオロギのことで、キリギリスは古くは「機織(はたお)り」「機織り女(め)」などと呼ばれた。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「すず風」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※力いっぱい… 擬人法。きりぎりすの生命力、力強い鳴き声を印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る(小林一茶)
・すずめのこ そこのけそこのけ おうまがとおる
・のどかな春の日、どこからか舞い下りてきた雀(すずめ)の子が、道の真ん中で餌(えさ)をついばんだり、はね歩いたりして遊んでいる。「おい、雀の子よ、そこのけ、そこのけ、向こうからお馬がやって来るぞ、危ないから早く、早く。」
・弱小なるものへの愛情のこもった、ほほえましい句である。(春・初句切れ)
※雀の子… 巣立って間もない子雀。春の季語。
雀は四季に渡り産卵するが、古来、巣立って間もない子雀が目につくのが春季であるため、春の季語とされる。また、子雀はくちばしがまだ黄色い色をしている。
※そこのけ… そこをどきなさい。
※雀の子… 雀の子よ、と呼びかけている。
※そこのけそこのけ… 呼びかけ法、および反復法。「そこをどきなさい、そこをどきなさい」と雀の子に呼びかけ、親しみや哀れみを込めて注意を促している。
※文政二年(1819年)春、一茶57歳の時の作。「おらが春」所収。
※句の解釈には次のように種々ある。
①一茶自身が脇から呼びかけている、②馬の口を取る馬子(まご)が雀の子に呼びかけている、③子どもが馬に見立てた玩具(がんぐ)に乗って雀に呼びかけている、④子供が馬に見立てた玩具に乗って歩く時のかけ声の借用、⑤「馬場退(の)け、馬場退け、御馬が参る」という狂言言葉の借用、など。
※この句が詠まれる前年、一茶は、「それ馬が馬がとやいふ親雀(ほら、馬がやって来るよ、馬がやって来るよと子雀に向かって盛んに鳴いている親雀であることだ)」という句を詠んでいることから、呼びかけている主体は親雀であるとする説もある。
雀らも海かけて飛べ吹き流し(石田波郷)
・すずめらも うみかけてとべ ふきながし
・初夏のすがすがしい風に鯉幟(こいのぼり)が元気よく、そしてのびのびと泳いでいる。さあ、雀(すずめ)たちよ、お前たちもそれに負けず、大きな海原に向かって、元気よく羽ばたいてゆきなさい。
・吹き流しに負けないくらい元気よく、海の上まで飛んで来いよ、もっと雄々(おお)しく強くなれよと雀たちに呼びかけ、励ましている。初夏の明るい情景と相まって、作者自身の明るく大らかな気分が伝わる。(夏・二句切れ)
※海かけて… 海を目指して。古語に「目指す」の意で「かく」という動詞がある。
※吹き流し… 端午(たんご)の節句(せっく)に、鯉幟(こいのぼり)とともに飾る数本の細長い布を取りつけた旗(はた)。また、鯉幟(こいのぼり)そのもののこと。鯉の吹き流し。
※体言止め。
※飛べ… 強く命令調で言い切ることで、力強く励ます気持ちが込められている。
※昭和18年(1943年)、長男誕生に触発されての吟。自分の子どもにも元気でのびのびと育ってほしいという強い願いと未来への明るい希望が込められている。
咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや(中村汀女)
・せきのこの なぞなぞあそび きりもなや
・風邪(かぜ)をひいてせきをする我が子を、ふとんに寝かせてそばで相手をしてやると、子どもは退屈しのぎに、なぞなぞ遊びをしかけてきりがない。きりがないとうんざりしながらも、私は甘える子どもの遊びに付き合ってやる。
・風邪を引いて部屋に閉じこもっている子どもにとっては、遊び相手がいてくれることがたいそう嬉しく、いつまでも遊びをやめようとしない。たわいのない遊びであっても、喜んで遊んでいる子どもを見ていると、いじらしさや愛しさも増して、いつまでも遊び相手になってやる。「きりもなや」と言いつつも遊びをやめずにいるところに、病気の子をいたわり、慈しむ母親の愛情を感じずにはいられない。(冬・句切れなし)
※咳… 冬の季語。
※きりもなや… きりがないことであるよなあ、と詠嘆を込めている。
咳をしても一人(尾崎放哉)
・せきをしてもひとり・部屋で「ごほん、ごほん」と咳(せき)をした。しかしその咳の音は、部屋の中の静寂(せいじゃく)にたちまち飲み込まれてしまった。誰が心配してくれるでもない、たった一人の私のいるこの部屋の、恐ろしいほどの静寂の中に。
・九音という短い音による句型が、部屋にぽつんといる作者の孤独を強調する効果を与えている。(自由律俳句)
※咳(せき)… 冬の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※自由律俳句。
※体言止め。
蝉取りのぢぢと鳴かして通りけり(村上鬼城)
・せみとりの じじとなかして とおりけり
・夏のある日、道を歩いていると、捕らえた蝉(せみ)を手元でじいじいと鳴かせながら、子どもが満足そうな表情で私のそばを通り過ぎて行ったことだ。
・蝉を捕らえた子どもの誇らしげな様子をほほえましく見つめている。重度の聴覚障害者であった作者にも、捕らわれた蝉の急迫した様子を目にしながら、心の中には蝉のじいじいと鳴く声が大きく響いてきたことだろう。(夏・句切れなし)
※蝉(せみ)… 夏の季語。ちなみに蝉の「ひぐらし」は秋の季語なので注意。
※蝉取り… 蝉を捕まえた子どもの様子を表す。
※通りけり… 通って行ったことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ぢぢと… 擬音語。哀れに捕獲された蝉が「じじじ… 」と急迫した鳴き声を上げている様子。「じじ」と書かず「ぢぢ」と書くことで蝉の急迫した様子や哀れさがいっそう強調されて感じられる。
ぜんまいののの字ばかりの寂光土(川端芽舎)
・ぜんまいの ののじばかりの じゃっこうど
・茎先(くきさき)がどれもやわらかに「の」の字の形に曲がった薇(ぜんまい)の若芽(わかめ)が、山野(さんや)の木立(こだち)の下(もと)一面に生えている。まるで仏様が住む寂光土(じゃっこうど)のような、平安で清浄(せいじょう)な空気に包まれながら、私はしばし我を忘れて、穏(おだ)やかな心持ちで見入っていたことだ。
・「の」の音の多用が耳に優しく響き、また、「の」の字の形をしたぜんまいが一面に生えている様子が、俗世からかけ離れた永遠の世界を彷彿(ほうふつ)とさせ、読む者の心までが安らいでいくようである。(春・句切れなし)
※薇(ぜんまい)… 山地や原野に自生し、早春に渦巻(うずま)き状の若葉を出す植物。春の季語。
※のの字ばかりの… 茎先が「の」の字の形に曲がったぜんまいの若芽が多数生えている様子。
※寂光土… 寂光浄土(じゃっこうじょうど)。仏の住む清らかな世界。寂光浄土。極楽浄土。
※体言止め。
※響きのやわらかな「の」の音の多用、そして、曲線で描かれる「の」の字の形の持つ優しくやわらかな印象が、ぜんまいの柔らかさだけでなく、作者の静かで穏やかな心持ちを印象づけている。
※のの字ばかりの… 比喩(隠喩)。「の」の字と同じような形をしたぜんまいの若芽が多数生えている様子をたとえている。薇の茎先が「の」の字そのものの形をしているわけではない。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※昭和12年(1937年)、芽舎39歳の時の作。「華厳(けごん)」(昭和14年:1939年)所収。
空はさびしよ家あらば烟をあげよ(荻原井泉水)
・そらはさびしよいえあらばけむりをあげよ
・人里から遠い山野を寂然とした心のまま歩みを進める私の前には、抜け殻のような空(むな)しい空が、ただ広がっているばかりだ。それが、私の寂(さび)しさをいっそう募(つの)らせる。もし、どこかに家の一軒でもあるのなら、煙の一条(ひとすじ)でも上げてくれはしないか。ああ、それにしても、何と寂しいことであろう。(自由律俳句)
※烟(けむり)… 煙。
※自由律俳句。
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